某月某日
さて、懸案のソーメンチャンプルー(正しくはソーミンチャンプルー)の作り方ですが、やはりネイティブで食べていた人の意見を聞くのがベスト。そこで、僕の勤務先の同僚の沖縄出身の人にメールで聞いてみました。(同じビルにいるのに、メールを使うこの時代、、)
その結果判明した作り方の一例を、紹介します。
材料:
素麺(必須)
作り方:
シーチキン(ポークでも可)
ニラ(無くても良いが、あるとなお良い)
サラダ油、胡椒少々
- シーチキンはフライパンでカリカリになるまで火を通します。
- その間にに麺を茹でます。麺は茹ですぎず、固めに茹でます。
- ニラなどの野菜は麺を入れる前に火を通しておきます。
- 麺が茹であがったら水を切りすばやく炒めます。(油が足りないようなら足して下さい)
- 味付けはシーチキンの塩気で十分です。コショウを好みで入れてもかまいません。
* ニンニクがあるともっとおいしいらしい
ということだそうです。割と、具はまばらになる感じで量を調整したほうがそれっぽく仕上がります。
お中元で剰った(お中元の習慣がない、外資系勤務の方には寂しい季節ですが)素麺を少し目先を変えて食べるのに、なかなか良いと思います。結構美味しいし。
某月某日
「やっぱ DoCoMo でしょ」という CM を見て、苛立っている DoCoMo の利用者は多いのではないだろうか。
他社が、「音が良くて切れない CDMA1」とか、明確にメリットを打ち出している時に、「やっぱ DoCoMo でしょ」ってさぁ、、。
僕の携帯は、PHS から乗り換えるときに買った NTT DoCoMo のデジタル端末。もう 2年ぐらい前のモデルなので、先進の機能は何もついていない。画期的な機能といえば、グループ化して管理できる電話帳機能だろうか。(今やそれは、機能ですらないが)
その前は、今は亡き NTT Personal の PHS を使っていたし、その前は NTT DoCoMo のポケットベルを使っていた。僕はこの手のものに関しては、非常に保守的だから、ずっと電電公社なのである。
それでも、この電電的サービス品質には、少しウンザリしている。
いっこうに良くなる気配のない通話品質。 ブチブチ切れる通話。(これは、僕が使っているタコな端末のせいもある)
それでも乗り換えないのは、
- 電話番号が変わるのがめんどくさい (内蔵電話帳の内容を移す気力もない)
- 通話品質にはこだわっていない (音がすればいい)
- 長期使用しているので基本使用料が安い (でも、そんなに安くない)
- でもやっぱNTTだし (そうはいってもNTT)
というような理由による。
そう考えると、僕的には「やっぱ DoCoMo でしょ」と言えなくもない。でも、ああいう「あたりまえでしょ、けっ」的な CM は、やはり良くないよな、そんなにサービス良くないのに、と思うのだった。
某月某日
文部省が「塾」の存在を認めたらしい。
僕がいわゆる「塾」(というか、予備校)と言われるものに通ったのは、高校生3年の半年間だった。
理由は簡単で、予備校に行かないと今の日本の受験制度では、どうにも大学には受からないからだ。(学校で習うことは、試験に出ないのだから仕方がない)
ただ、僕の周りでは、もっと早い時代から塾通いをするのが一般的だった。僕が小学生の頃、既に「お受験」は始まっていた。その頃既に、周りには午後11時過ぎまで塾に通っているような奴がけっこういた。
僕にとっては、そういう努力は驚異的に思えた。当時、僕は「塾」というものには足を踏み入れたことも無かったので、「塾」という場所ではいったい何が行われているのか、想像が膨らんだ。
もしかしたら、そこまでやらないと、ろくでもない将来が待っているのではないか?という怖さを感じたりした。小学校の4年生ぐらいから塾に行き、夜中まで勉強し、学校の授業は馬鹿にしきって寝ている奴ら。(実際、彼らの睡眠時間の方が、小学校の先生よりもずっと短かったはずだから仕方がない)それでいて、試験ではあっさりと学年の上位を独占する奴らには、努力と犠牲に裏打ちされたプライドのようなものがあった。
例えば、僕のクラスで、一番睡眠時間が少なかったのはKという奴だったと思う。彼は、小学生にして睡眠時間5時間程度で、えんえんと勉強していた。人生の最初の段階から、なんか差がつきはじめているような気になったものだ。
塾というものに、明確な目標を持って行く人間は少ない。あえて言えば、塾というのは、将来のための保険のようなものかもしれない。
学歴が通用する、ある種のセグメントに於いては、いい大学に行くことで就職に際してのリスクを減らすことができる。つまり、良い大学に行けば、なんというか望ましくない職業(賃金が低い、社会的立場が低い、等)に就いてしまう危険が減る。
しかし、逆に言えばその程度の事を手に入れるために払わねばならない代償、それは果たして彼らにとって見合うものになるのだろうか。
結果論なのかもしれないが、もし、塾の勉強というものが自分の将来に対する保険だとするならば、その代償は思ったよりもずっと高価かもしれない。
ただ、僕はよく大人達がするように、塾に通って頑張っている人たちを批判したりしない。
彼らは遊んでいるのではない。時代の先端に立たされて、そこから逃げることなく頑張っているし、いろんな事を考えていると思う。だから、彼らが自分たちの努力に見合った将来を手にできると良いと思っている。
僕は結局、勉強とはあんまり関係なく10年以上趣味で触っていたコンピュータが、自分の仕事になった。僕は塾に行くという保険をかけなかったので、その分の時間を自分の興味のために使う事ができた。ある意味では、僕の選択はうまくいったのかもしれない。
某月某日
ボスニアの戦争に、一つの決着がついた。
様々な非難があり、多くの犠牲が出た。しかし、NATOの空爆は確かに虐殺を停止させた。現実に歴史は変わった。何もしなかった人たちは、いろいろな文句を、NATOのやった戦争に対して言うだろうと思う。そういうコメントに、僕はいささかうんざりする。
文句を言うことが悪いというのではない。それは勝手だし、むしろ必要な事だと思う。ただ、うんざりするのだ。
某月某日
すさまじく、「ソーメンチャンプルー」が食べたくなった。
日曜日の昼過ぎに、僕は、猛烈に、ソーメンチャンプルーが食べたくなったのだ。
しかし、作り方がよく分からない。(インターネットで調べればいいじゃん、ということは後で思いついた)
頭の中には、ぼんやりとした完成予想図のみが出来上がっている。そして、手元にある材料で、どうにか近いものを作ってみることにする。
手元の材料:そうめん、ショルダーベーコン、菜っぱの漬け物、ネギ
ソーメンチャンプルーは、そうめんを主材料にした、沖縄の炒め物料理だ。極めて一般的な沖縄の家庭料理なので、本土でも、たいていの沖縄料理の店で食べることができる。
僕の頭の中のイメージでは、炒まったソーメンの上に、ぽろぽろと具が載って、ネギが散らされているといった風情のものである。
沖縄だから、当然ポーク(SPAM とか、そういうやつ)は入っているに違いない。まあ、同じ豚肉だからベーコンでいいや。それから、僕の記憶では、ネギがハラハラと乗っかっていた記憶がある。それも入れる。なんか、沖縄料理にしては珍しく塩っぽい味付けだった気がするので、菜っぱの漬け物も混入することにした。(沖縄に塩味の漬け物は無いらしいが)
だいたい、ソーメンチャンプルーのような、庶民の料理に「厳密」とか「正統」なんてものは、ありゃしないだろう。(ご家庭の味というのがきっとあるのだろうけど)
ぐらぐらとソーメンをゆで、水洗いしておく。フライパンにサラダ油をひき、ベーコンをいため、おもむろにソーメンを入れる。
案の定、ソーメンがダマダマになりはじめる。間髪を入れず、醤油を少々(のつもりが、入れすぎた)入れ、菜っぱをぶち込んで混ぜる。
最後の仕上げに、多分ごま油も入っていたのではないかという予想で、入れてみた。入れた瞬間、「絶対違う」という確信を持つことができた。そう、ソーメンチャンプルーにゴマ油は入りません。
出来上がった、物体は、かなり僕の完成予想図を裏切った。食してみると、なんというか、インスタントラーメンを焼きそば仕立てにしたような、不健康な味わい。
不味くはないが、ご飯のおかずと言うよりは、酒の肴のような一品に仕上がってしまった。
やはり、料理の鉄人は偉大だということを再確認して箸を置いた。(ちゃんと食べたけど)
さて、インターネットには、きっと正しいソーメンチャンプルーの作り方が載っている。と思ったのだが、案外情報は少い。
[めんそーれ、うちなーんちゅ](このタイトルに拒否反応を示す人もいるかもしれない)によれば、本来の材料は以下のような感じらしい。
一般的な材料:素麺、シーチキン、ポーク、ねぎ、もやし、きゃべつ
おおまかに言えば、僕のソーメンチャンプルーで合っていた材料はソーメンとネギぐらいのものだったようだ。味付けは、塩・胡椒のみ。そうめんをダマダマにしないように仕上げるのがポイントだそうだ。
しかしながら、[新種発見!チャンプルー100]を見る限りでは、なんでも良さそう。ベーコンを使ったチャンプルーもちゃんと出ている。
某月某日
村上春樹のダンス・ダンス・ダンスに、「文化的雪かき」という表現が出てくる。
このページは、さしずめ電子的雪かきのようなものかもしれない。と思った。
某月某日
厨房の中で、おやじが椀を手にとった。
おたまを手に、まさに吸い物の出汁がその椀に張られようとした瞬間、おやじの厳しい視線が、椀の中で止まった。
「だっ!」なにやら、非常にご立腹のようだ。きっと職人の目に、許せないものがあったのだろう。ネギの角度が悪かったとか、、。
「しょうがねぇーな、ったく、だっ!」哀れにも、その椀は脇にのけれられ、僕の昼飯のお吸い物は、別の椀にもられることになった。
新宿の都庁から、オペラシティーの方角に、20分ばかり歩いた所にある割烹の店。一見すると目立たない店だが、昼時には近所の会社員が行列をつくる。
味は確かで、この前の昼飯にでていた飛び魚のたたきなどは、絶品だった。飛び魚は上品な味のする魚ではないが、その油っこさが、いかにも夏の味といった風に仕上げられていて、文句の付けようが無かった。
しかし、困ったこと、というか最初はびっくりしてしまうことが、この店にはある。この店の確かな味をつくっている本人、店のおやじだ。この店のおやじは、いつも怒っている。そして、絶えず怒鳴っているのだ。
店主は、「板前」という単語のサンプルのような人物。通常は寡黙に、ねぎを刻んだり、魚をおろしたりしている。しかし、2分に一回は、おかみさんを怒鳴るのだ。おかみさんはなれたもので、「はいはい」といった風情で流している。お客も、勝手を知っているので、驚きもしない。まあ、そういう店なのだ。
そして今日、おやじはついに椀に怒っていた。
どんなにうまい店でも、おやじが恐かったり、怒っていたりすると、「勘弁して欲しい」ものだ。しかし、この彦膳はおやじの怒り具合と、その旨さを天秤にかけた場合、明らかに味の方が勝っている。
そういうわけで、今日の昼飯もその店にしようと思う。
ちなみに、ランチは(割烹にランチもないと思うが)1,000円。確実に食べたければ、12時15分前には、のれんをくぐりたいところだ。もちろん、夜も美味しい、らしい(行ったことない)。
某月某日
よくある(かもしれない)質問と回答
問:最近、カンウターの増え方が速いような気がするのですが?
答:サーチエンジンに登録したので、一見さんが増えているのだと思います。あるいは、常連さんがますます暇になって頻繁に訪れている可能性もあるかもしれません。
問:羊ページは、いったい何曜日の何時頃に更新されているのですか?
答:月曜日の午前2時頃が、最もありがちな更新のタイミングです。
問:ホームページに感想を送ったのですが返事が返ってきません。何故ですか?
答:3つの可能性が考えられます。
1.返事を書くのを忘れている(あまりない)
2.毎日のように顔を合わせるので、メールで返事をする必要がない(よくある)
3.感想を送ったときにメールアドレスが書かれておらず、返事の返しようがない。(よくある)
問:羊ページは、どんなソフトで書いているのですか?
答:テキスト・エディタです。
問:羊ページの作者は、Microsoft K.K. の社員ですか?あるいは、Microsoft の回し者ですか?
答:社員ではありません。回し者かどうかは微妙なところですが、Microsoft 製品が飯の種であることは認めます。
問:羊ページの[リンク]はなぜ増えないのですか?友達がいないのですか?
答:つくる、つくっている、だいたいできている、そのうちできる、まだできない。
という感じで、1年以上待たされている友達のページが2つほどあるのですが、、。(本人は、自分がホームページを作ろうとしていたことさえ忘れている可能性大)
某月某日
会社の帰りに、モモを買った。
小さかったが、美味かった。
某月某日
「ムトゥ、踊るマハラジャ」、めちゃくちゃ面白い。
筋はあきれ果てる程、単純明快。恐らく、字幕が無くても理解可能だ。(ちなみに、インド映画に台本はないらしい)その筋をもり立てる、脂ぎったヒーロー、ムトゥのタオルアクションと、ヒロイン、ランガナーヤキの腰フリダンス。これでは放送禁止限界だ。
随所に挿入される脳をとろけさせるタミル・テクノにあわせた、チームダンス。アヒルや、鶏を、リズムに合わせてカットに挿入する(というか、リズムに合わせてフレームの外から、スタッフがアヒルを投げ込んでいるのではないかと思う)、見たこともない手法。
そして、「全編を通していったい何万人出演しているんだ?」と思わずにはいられない、膨大な数のエキストラ。まさに、インドの資源を余すところ無く活用している。
ついでに言えば、まともに撮ろうとした部分の映像(とても少ないが)のクオリティーはとても高く、欧米の映画にひけはとらない。特に、ムトゥ出生の秘密が明かされるあたりでは、一級の歴史映画ではないかと思わせる緊迫したカットが展開される。
娯楽の一線をかたくなに守った映画だが、随所にセンスの良さが光っている、、無駄だが。
これは是非、映画館で見なければならない。