1996
[click to full size photograph] ローマの景色というのは、それは印象深いもので、僕が泊まった安宿の窓からも、いかにも「ダンテ的」な石造りの景色を望むことが出来た。そこは、文化という意味では、世界屈指の密度を持つ土地である。
僕は旅行に行くときには、必ず、ウォークマン(今は、mp3プレーヤーに変わったが)を持っていくことにしている。そして、このローマの景色に一歩も引けを取らず響き渡ったのが、この1996だった。
アルバムは、ピアノ・バイオリン・チェロのトリオ編成による、ベスト。坂本龍一の、言ってみれば「無国籍」な音楽は、ともすればオペラの響きに圧倒されそうなこの街でも、きちんと耳と心に響いた。いや、むしろ、日本で聴くよりもしっかりと、聞こえてきた。
世界で通用するもの、というのは、とても難しい。ある種の前提無しで、あるがままの力で勝負しなければならない。このアルバム、日本だけの尺度で聴くには、強すぎる音楽かもしれない。
さて、収録曲について少し。1919は、緊張感に満ちていて、考え事をしながら聴くと、頭の速度が10%アップする感じ。戦場のメリークリスマスは、メインテーマ部分のリズムが絶妙なベスト・テイク。
注1:ダンテが生まれたのはローマじゃなくてフィレンツェだろ、というのは正しい指摘。
- ゴリラがバナナをくれる日
- Rain
- 美貌の青空
- The Last Emperor
- 1919
- Merry Christmas Mr. Lawrence
- M.A.Y. in The Backyard
- The Sheltering Sky
- A tribute to N.J.P.
- High Heels(Main Theme)
- 青猫のトルソ
- The Wuthering Heights
- Parolibre
- Acceptance(End Credit) -Little Buddha-
- Before Long
- Bring them home
Masterd by Ted Jensen.
スプートニクの恋人
村上春樹
村上春樹の新作「スプートニクの恋人」は、いままで彼の小説を読みつづけてきた人にとっては、なんとなく懐かしい感じの作品だ。
そこには、おなじみの「ぼく」がいて、プールで泳ぎ、料理を作る。ささやかなプライドを持って仕事をして、たまに女の娘と寝る。そして「ぼく」は、初めからいろんなものが失われることが決まった世界に、投げ出されている。
(そういえば、この小説では一人称が「僕」ではなく「ぼく」という表記になっている。)
村上の小説は、凄く乱暴ないい方をすれば、みんな同じだ。毎回、同じテーマを突き詰め、その度にどんどん磨いていくような感じだと思う。そうやって出来上がってきたものを読むのは、とても楽しい。
村上の最近の作品には、僕に理解力が欠乏しているせいか、複雑すぎてよく理解できないものが多かった。しかし、この「スプートニクの恋人」はとてもシンプルに、いつものテーマといつもの世界を描き出している。だから、この小説は理屈抜きで面白かった。
いつものテーマと、いつもの世界。
ある人間がきちんと書くことのできる範囲というものは、とても狭いのではないか。最近、そんな風に感じる。それは決して悪いことではなく、むしろ、好ましいことのように思う。
例えば、もし誰かに「あなたの書く文章はみんな同じだ」といわれたら、僕は喜しく思う。本気で書いた文章には、紛れもなく僕自身の中の何かが表現されている。僕は、形のつかめない自分の存在を、少しでも留めておくために、文章を書いてきた。
そこから読み手が受け取るものが同じだとしたら、僕は文章によって、自分自身の位置を定めることができていることになる。あるいは、文章によって自分の位置を定めることができるかもしれない、というあやふやな期待と確信を、少しだけ強く持つことができる。
僕は「スプートニクの恋人」の中に出てくる、古井戸や、電話ボックスや、ロードスの島々の話を読みながら、そんなことを考えていた。
もう一度言うと、「スプートニクの恋人」はシンプルで、懐かしい、小説だ。そして、村上春樹が彼の小説の中で、常に立ち続けてきた位置を、いままでよりも少しだけ鮮明に見せてくれる作品だと思う。
読む人によっては、「また、同じか」と思う人もいるかもしれない。しかし、僕はこの小説の中心に、いままで彼が描き続けてきた物の一番大切な部分を、一瞬だけハッキリと見た気がした。
- 追記 - ちなみに、この小説の後半ではギリシャの小さな島が舞台になっている。村上春樹の旅行記、「遠い太鼓」を事前に読んでおくと、ギリシャの島々の光景がより鮮明に伝わってきて面白いと思う。
タイトル スプートニクの恋人 著者 村上春樹 定価 1600円 出版年 1999年 出版社 講談社 ISBN 4-06-209657-9
某月某日
久しぶりに合った友達が、「今、村上春樹の羊をめぐる冒険を読んでいる」と言った。それはいいとして、彼のコメントが面白かった。「半分ぐらい読んだんだけど、なんかお前が書いているみたいで、気持ち悪い」のだそうだ。
ようは、その友達は村上春樹の小説というものを読んだことはなくて、そのかわりにこの「羊ページ」をずっと読んでいたのだ。
僕にとっては、そのコメントはむしろ喜ばしく感じられたが、村上さんにとっては、はた迷惑もいいところだ。どう考えても、僕の文章の方が、後に来たのだから。
なので、このページを気に入って読んでいただいている方で、まだ村上春樹の小説を読んだことが無い人は、ぜひ読んでみて欲しい。間違っても、あ、これ「羊ページ」に似てる、なんて思わないように。逆だよ、逆。
某月某日
二ヶ月近く通わされていた歯の治療が、ようやく終わった。
とかく、歯医者というものは際限なくダラダラと治療をするものであり、黙っているといつまでも通うはめになる。案の定、僕は3本の虫歯の治療のために8回も通院した。
「もっとまとめて治療できないんですかねぇー」と、言えばいいのだろう。(職業柄、お客のそういう反応が、予想以上にプレッシャーになることは知っている)しかし、僕の通っている歯科の医院長に限っては、とてもそんなことを言える相手ではない。
医院長の特徴は、二人の有名人に集約される。
見た目は、石原慎太郎である。目には、揺るぎない自信がみなぎり、ロマンスグレーの髪をなびかせて、鮮やかな手際で治療する。
受付には、権威のありそうなデンタルスクールの卒業プレートが幾つも飾られており、スタッフは若いねーちゃんではなく、ベテランの助手を揃えている。治療には容赦がなく、いざとなれば患者の不意を付いて、虫歯を隠す歯茎を電気メスで焼き切ることも辞さない(めちゃくちゃ痛かったぞ、コレは)。
声は、田崎真也である。
「ここのかみ合わせが良くないから、歯茎に負担がかかっているのです。」
まるで、ワインの特徴を説明するかのように、ささやく。
「全部入れ歯だね」と宣告されても、「はぁ、そうですかぁ」と言ってしまいそうな声だ。そして、見事なテクニックで、虫歯をミクロン単位で追いつめていく。削った歯を埋める金属は一発で収まり、麻酔の使いどころもバッチリだ。
こんな人に、「あと何回ぐらいで終わるんでしょうかぁー?」なんて、僕は聞けない。
そういうわけで、僕は素直に 8回通院し、晴れて虫歯を全て治した。とりあえず、やり残して気がかりだった宿題を片づけてしまったような、そういう気分である。
某月某日
[写真鑑賞]を作り直している。(極めてまれに)送られてくるアンケートの結果を見ても、このコーナーが「良い」と書いてくる人は滅多にいない。
原因は幾つかあるのだろう。(そもそも写真自体が「カス」なのかもしれないけど、、。)しかし、原因の一つに操作性の悪さがあることは間違いない。このコーナーはとにかく重いし、操作がしにくい。あまりの操作性の悪さに、僕自身滅多に見ないので、ますますメンテナンスされずにほったらかしになるという悪循環、、。
なんで重いのか、というとデカイ写真を載せているためだ。なんで操作がしにくいのか、というとデカイ写真を載せているためだ。じゃあ、小さくすれば?
そうはしたくないのだ。写真を撮った僕としては、なるべく大きなものを見て欲しいという気持ちがある。写真を小さくし、圧縮率を上げれば、操作性は良くなり、ダウンロードの時間も短くなる。
しかし、そうはしたくない。それは、作り手の一方的な思いこみに過ぎないことは、分かっている。しかし、その手の思いこみを正すのは難しい。事実、「出来の悪いもの」には、そういう思いこみに失敗の原因があることが多い。思いこみを正すのは、難しい。特に、芸術的やセンスの部分では。
しかし、今回は思い切って写真も小さくし、見栄えの点から拘っていた黒の背景もやめ、リニューアルしてみた。なんだ、少し見た目を変えただけじゃないか、と思われるかもしれないが、画像データは全て作り直し(作り直しだ!)、HTML も全て書き直した。膨大な作業量だ。
でも、どうせ分からないのだろうけど、、。
なんといっても、この羊ページ自体、サーバーに乗っているデータは 8MBぐらいだが(今回のリニューアルでかなり減った)、マスターデータは 400MBもあるのだ。(知らなかったでしょ)
某月某日
「もう、サミットは大阪で決まったようなもんですわぁーーーっ。」
「はぁ、そうですか、、。」
「そらそうですわ。なんや言うても、、(以下略)」僕は、生まれた初めて降り立った大阪で、ものすごい勢いでしゃべり続ける運転手と一緒にタクシーに詰め込まれ、窓の外の渋滞をウンザリしながら眺めていた。
僕にとっては日本でサミットが開かれること、そしていくつかの地方都市がサミットの会場として誘致合戦を繰り広げていること自体が、ほぼ初耳に近かった。そいうえば、なんかのニュースでやっていたような、、。
「むこうには、どれぐらいで着きますかね?」と尋ねると
「いや、そんなにかかりまへんで。どんなに混んでも、まぁ1,700円ぐらいですなぁ。それ以上は、ぜったい、いきまへん。まぁ、ようお客さんで、、(以下略)」僕にとっては値段はどうでもよかったが(僕は所用時間が聞きたかったのだ)、まだまだ先は長いようだった。
新幹線や飛行機で通り過ぎたことはあったが、一度も歩いたことのない街、大阪。新大阪の駅を降り立ち、とりあえず今日の仕事先であるホテル・ニューオータニに向かおうと、タクシーに乗った。(電車の接続が、いまいち分からなかったのだ)
しかし、乗りこんでわずか10秒で、僕は大いに後悔することになった。このタクシーはハズレだ。
「きょうは、暑おまんなぁー。」から始まった運転手のおしゃべりは、大阪府の中心街で日常的に発生している大渋滞に巻き込まれてから、ますます冴え渡った。50代半ばの白髪の運転手は、まさに生粋の大阪人といった様子である。この運転手にとって、お客様にさまざまなおしゃべりを持ちかけることは、明らかに「サービス」の一環であるらしかった。
東京から来た大阪は初めての、20代のサラリーマン。「サービス」したくてしょうがない運転手にとって、僕は全くのカモネギだった。
大阪のタクシー運転手というのは、みんなこうなのだろうか?ならば、このタクシーがハズレというよりも、タクシーに乗るという選択自体がハズレだったのかもしれない、、。(これ以降、僕は全日程電車で移動した)
結局、2000年のサミットは、沖縄県名護市で開催されることになった。(落選した都市の代表者からは、「あまりにも政治的な判断だ」という意見が見られたが、サミットの開催地選定が政治的でなくてどうするのだろう?)
僕はサミットの開催地に決まった名護に滞在したことがある。そこには、基地と、それにべったり依存して、今は寂れ疲弊しきった街があった。(繁華街の外れに、「ジェイズ・バー」という看板を見つけ、おおいに盛り上がったりしたものの、その店も閉じられて久しいようだった。)
本土の政治に長年振り回され続けていながら、政治の力に頼らざる終えない現実が、名護にはある。
さて、大阪城公園にほど近い、ホテルニューオータニの車寄せに着いたとき、メーターの料金はとっくに 2,000円を越えていた。
それでも、「サービス」から解放された僕は、喜んで料金を払い、車を降りた。
某月某日
少し長めの「今日の一言」を書き始めたら、なかなか出来上がらず、更新ができなかった。(まだ出来上がらないので、週末あたりには更新できると思う)
ホームページに感想を送ってくれた人のメールで、村上春樹の新作が出ていることを知った。
買おうか、買うまいか少し迷ったが、結局買った。
新作、「スプートニクの恋人」には、いつもの主人公「僕」がいた。「僕」は今度は学校の先生をやっているが、やはりプールで泳ぎ、料理をつくるのがうまい。
僕が初めて村上春樹の描く「僕」に出会ったのは、5年前。僕は、大学でくそ面白くない民族学の講義を聞き流しながら、「風の歌を聴け」を読んでいた。
ラッシュアワーの余韻が残る電車に乗って、いつもの曲を聴きながら、村上春樹を読む。
学生の時から変わったのは、電車の行き先ぐらいのものだ。
何も、変わらない。
某月某日
ファーストフードで、食べ残しのポテトと、包み紙と、紙コップ、ストロー、使い終わったナプキン、を捨てた。
ファーストフードで、食べ残しとゴミを、捨てる。
実に単純なことだ。
村上春樹の、「羊をめぐる冒険」の話をしていた。
小説の書き出しは、こんな風だ。
新聞で偶然彼女の死を知った友人が電話で僕にそれを教えてくれた。(注1)
余計な物は、いっさい捨てた文章。
僕は、捨てるのが極端に下手だ。
カラスには、光るものを見境無く巣にため込む習性があるそうだ。
僕は、いろんなものを抱え、捨てられない。
抱えているものが、自分から何かを奪い続けるとしても、だ。
羊をめぐる冒険(上) page 9 line 1 , 1985, 村上春樹, 講談社文庫.