今日の一言。
2006年 4月の一言 

某月某日
---

綿毛
[click to full size photograph]

ドラえもんで、忘れられないエピソードというのは幾つかあって。

植物が人間みたいに見えるゴーグルのお話。そのゴーグルを通してみると、植物が交わす言葉を聴いたり、表情を見たりすることができる。

のび太が裏庭の片隅に見つけたタンポポを、そのゴーグルを通して見守る、ちょっと珍しいエピソード。その物語の最後に、タンポポの子供たちが、綿毛になって飛んでいくシーンがある。

兄弟達は風に乗って旅だったのに、一人だけ怖がって飛び立てない子供がいる。タンポポのお母さんは、自分が風に乗って旅した頃の事を話して聞かせ、旅と未来の素晴らしさについて教える。そうして、明け方、ついに最後の子が風に乗って飛び立つ。



---


いつまでも寒かった今年は、気がつくと黄色いタンポポが一面に咲いていた。その黄色を楽しむ間も短く、花はあっという間に綿毛になって、飛んでいく。

綿毛がなくなって、すっかり丸坊主になったタンポポを見ると、いつも、その話を思い出す。旅立ちの物語が、こんな小さな場所でも繰り返されていることを、思い出す。

素敵な、物語だったんだと思う。







Photo: "綿毛" 2006. Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.



某月某日
---

春の空
[click to full size photograph]

冬が去った。

季節はいつも急ぎ足で、今日の空は一足先に夏の煌きを、一瞬見せた。

夏の濃い碧に、積乱雲のような勢いの雲が浮いている。



---


週末、空ばかりを集めた写真集を買った。







Photo: "春の空" Tokyo, 2006. Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.



某月某日
---

苺狩りハウス
[click to full size photograph]

苺狩りの季節。

最近のは、高いところに棚があって、腰とか全然痛くならない。なんて、知った風に言っているけれど、実は苺狩りは生まれて初めて。

清潔で、土の匂いはしないのに、植物の匂いで満ちている。ハウスの中は、不思議な工場みたいな場所だった。



---


練乳を使い果たす人、50個以上食べる人、アレルギー発症の限界スレスレに挑戦する人。

それにしても、見た目ではどれがウマイんだかちっとも分からない。赤くても、大きくても、形が良くても、それでも分からない。これはもう、カンを研ぎ澄ますしかないみたい。



Photo: "苺狩りハウス" 2006. Izu, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EBX.



某月某日
---

深夜の南口
[click to full size photograph]

夜、遠くに鳴る電話の音。母親の押し殺した声。僕にとって、その音はいつも不吉な、よくないニュースの前触れだった。僕は今でも、夜中の電話の音が苦手だ。

全ての家庭が幸せな環境で子供を育てることが出来るわけではなくて、それに失敗するケースがある。そして、そのツケは、子供に行く。不幸なことに、幼くして、暗い闇を覗いた子供は、それを忘れて生きることができない。だから、それをどう許して、どう折り合いをつけるのか、とても難しい闘いをずっとすることなる。

守ってくれるものも、守るべきものもなく、一人で生きていくのはあまりにも辛くて、多分、無理なのだと思う。だから、いろんな方法で、生きるための折り合いをつけようとする。殻に閉じこもって自分を守る子、犯罪すれすれのことに入り込む子、薬物に頼る子、、。みんな、見つけて欲しくて、助けて欲しいのだけれど、その手は、容易にはやってこない。ずっと、やってこない事だってある。



---


少し前の話。夜、寝ようとして、ふと合わせたテレビの番組で、どうしようもなくギリギリの目線で話す男の姿が映っていた。「夜回り先生」こと、水谷修。定時制高校教師。夜の繁華街を歩いて、社会の底辺に沈む子供たちに手を伸べる男。暗い夜を知る人間にしか、語れないことがある。目を見れば、この人が、どこまでも本気で、どこまでも痛みを知っていて、どこまでも子供達を愛そうとしているのだ、ということが一瞬で分かる。寝ようとしていたことは忘れて、息を詰め、そのまま最後まで見た。

「私は、今年もう、5人殺したんです」

彼が関わった子供達のうち、今年に入って(それはもう去年になっているが) 5人が自殺や薬物の過剰摂取で死んだという。彼は、自分が「殺した」と言っていた。実際には、彼が関わろうと、関わるまいと、子供たちは死んでいたのかもしれない。それが、少し早くなったか、遅くなったかだけの、違いなのかもしれない。もちろん、子供たちが悪いのではない。彼らの環境が、そしてその環境をつくり出している大人達が悪い。そして、手をさしのべるのが、遅すぎた。何もかもが、遅かったのだ。

底辺。そこでは、人は実に簡単に死ぬ。薬物で死ぬし、暴力で死ぬし、自ら命を絶つ。あるいは、人は信じられない程無様になっても死なない。アルコール中毒で胃洗浄をされても、薬物で失禁して前後不覚になっても、若年糖尿で視力を失っても、死ねない。

それは、とても無様で、ややこしくて、格好悪くて、腹が立って、不愉快だ。しかも、人が死ぬ。人の命に関わるそういうことに、皆、できれば関わり合いになんかなりたくない。親兄弟も、親戚も、恋人も、隣近所も、学校も、会社も、知らない振りをするし、しようとする。警察とか、病院とか、そういう「専門家」に押しつける。誰も、助けてなんかくれない。

それなのに、そういう子供たちの置かれた状況に積極的に関わろうとするこの人に、僕は、単に偉いというのではない感情を抱く。



---


Amazon で買った彼の本がまもなく届いた。内容は酷い、とても酷い。ただの本なのに涙が出た。10代という時間は、取り返しがつかない。それが、大人達の欲望と身勝手のしわ寄せで、簡単に奪われる。その重荷は、全て子供たちに負わされる。その事に心底怒りながら、しかし、彼は、絶望しないで子供たちに声をかける。一人の人間がどれだけのことができるのか?という質問をする前に、彼は目の前の一人を助け、彼に助けを求めてくる「全ての」子供たちを助けようとしている。本当に、「全ての」子供たちを。

そこに本当に希望があるのかは分からない。でも、絶望の中で、希望の光はより強く輝く。あの時の僕が求めることさえ知らなかったもの。それを、彼と出会うことができた子供たちが、彼の中に見いだせるだろうか。救って欲しい、と本当に願った。



Photo: 2005. Tokyo, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak Tri-X.



某月某日
---

梅
[click to full size photograph]

地下鉄の階段を出ると、もう人だかりがしていた。

少し気ぜわしく咲いてしまった今年の桜は、冬の冷たさが残る風の中に揺れている。

見慣れた堀端の景色は、桜の季節だけ、見違えるように華やかになる。



---


ライカ、ツァイス、キヤノン、ニコン、ローライ、カメラの展示場のようになったこの場所で、シャッターを切る手を休めて、ふと、頭上を見やると、とてもカメラでは撮りきれない色を見る。

この国に生まれて良かった、と思う。



---


桜のあるところ、どこだってお祭り騒ぎで、世界で一番うるさい場所に咲く花だけど、ファインダーの中の桜は、とても静かに咲いている。

匂い一つさせないで、黙って咲いている。



Photo: "桜" 2006. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EBX.



某月某日
---

梅
[click to full size photograph]

春の雨が降っている。

春の雨は好きだ。

雨に濡れた梅の幹が美しい。



---


梅の咲く季節は、いつも短くて、桜のようにお祭り騒ぎもない。

でも、匂い、梅の匂いは、ずっと心に残る。






Photo: "梅" 2006. Kanagawa, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak 64.
注:初めて、コダクロームを使ってみた。現像に出したら、一週間ぐらいかかった。50年使われている外式リバーサル。なんとも言えない色合いが、曇天の弱い光と合わさって、なかなか良い。



[home]

© 1996-2008 sheep