某月某日
[click to snapshots] 今日は月に一度の肉の日だ。
今日は特別な日であるから、焼肉に誘う電話がかかってきたら、例え一番食べたくないものが肉だったとしても
「ちょうど、その事を考えていたんだよぉ〜」
と言うべきなのだ。
郊外の焼き肉屋は、学生グループ、家族連れ、凄い行列。普段は行列してモノを食べるということは無いのだけれど、今日はちょっと遠くまで来てしまったのでおとなしく待っていることにする。この店、とにかく安い。2,000円も出したら、もう見たくないぐらい肉が食える。そして、ご飯はマンガ盛りだ。山みたいになってる。
僕たちの隣に座った男二人連れは、30代後半といったところか。席を確保すると、迷うことなく山盛りの肉を注文。マンガご飯にも驚く風はなく、網一杯に肉を並べると、会話することもなく淡々とかつ手早く片づけていく。なんだこの人達は、焼肉のプロか?
「うちは待つ時間は長いけど、座ったら直ぐ出てくるのが自慢だからねー」
とおばちゃんが言うだけあって、注文するとあっという間に狭いテーブルの上が一杯になる。ここより高くて旨い店は沢山あるだろうけど、この値段でこの味と量は、滅多にないだろうなぁ。
Photo: "肉と飯" 2004. Tokyo, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8
某月某日
[click to snapshots] 一人でふとどこかに行こう、と思ったときに、横浜の港に行くのは、学生の時に過ごした街だからだろうか。
肌寒い、薄曇りのある日、懐かしい丘陵を下ってサイドウォークに歩く。
親子が二人、海を眺めていた。何を話しているのだろう、遠くから見ている僕の耳に届くのは、潮風が吹き抜ける音だけ。そういえば、この場所に僕は大事な人を連れてきた。いろんな思い出のある場所、そこに一人立っている。
ここに一人で入ろうという店の宛があるわけでもなく、体が冷えて退散する。腹こわした。
Photo: "横浜港" 2005. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.
某月某日
[click to snapshots] バーガーキングなきあと、アメリカンテイストをかもしだす数少ない店の一つ、ウェンディーズ。噂のクラシックトリプル。
持つと重い食べ物。食べても食べても肉、という感じだ、端で見ていて、引く。こんなものが民生品として売られている衝撃。その熱量は、1,000K Cal を超える(= 松屋の牛焼肉定食とほぼ等価)。恐ろしい食い物だ。
オーダーしたのは友人で(背広姿でオーダーすると店員の目が泳いだ)、僕は持ってみただけだが、その恐ろしさは十分伝わってきた。しかも、これがレギュラーメニューなのだから驚く。料金を払えば、さらにパティを足すことが可能だ。ヨッタマックとか作るより安いと思う。
肉汁もあって、美味しい。腹が減っていれば。
Photo: "クラシックトリプル、断面" 2004. Tokyo, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8
注:2個食べると、ヨッタマックと同じカロリーが摂取可能。
某月某日
[click to snapshots] 昔は書くことでなにがしか癒されたような気がするが、最近はそうではない。というか、別に癒される必要がない。すり減ってしまったのか、自分の中の迷いが消えたのか。閉じているのか、あきらめてしまったのか。
うーん。
魚民の鮨が余ったので、あみだ鮨。ハズレは、赤身か。(鮪はあんまり好きじゃない)
Photo: "あみだ鮨" 2004. Tokyo, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8
某月某日
[click to snapshots] 「俺は自分の力で会社を変えてみせる!」
と言っている同期の話を「ふーん」と思いながら聞いていたのは、もう5年は前の事だと思う。僕はそれよりも、自分のスタイルは変えないで、それが合わなくなったら、逃げ出してしまえば良いんじゃないかと思った。今でも、実はそう思っている。
不愉快なものには、なるべく近寄らない、というのが僕の基本的なスタンスで、根っこのところでは逃げることはちっとも悪いことだと思っていない。人の本質は多分、時間がゆっくり変えるものなんじゃないかと思うから、誰かを変えようなんて思わない。何かを変えようなんていう風にも思わない。自分のことを、ちゃんとやればいいんだと思う。だから、人を変えようとか、会社を変えようとか、そういうのはある種迷惑だなぁとさえ思う。(それは極端か)
ただ、そんな風に思っている割に口を出してしまって後悔することも多い。(むしろ普通より口を出してる気がするが)まあ、口を出すよりは待つ方が良い結果が出ることを経験として知るようにもなったな。というか、最近、そういうのにかまってる時間とか労力が、ものすごく無駄に思える日々。
Photo: "ちょっと暖かい朝" 2005. Tokyo, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8
某月某日
あまり似ている有名人というのが居ないようで、「これは」という定番がない。皆、てんでばらばらな事を言うが、いままで言われたところで、エッジなのを集めてみると、、。
暴れん坊将軍、レクター博士、デスラー総統。
なんだそれ、意味が分からない。何でみんな(特殊な)肩書きがついてるんだろう。いや、っていうか、デスラー総統は人間じゃないし。
注:暴れん坊将軍と呼ばれたのは、彼がサンバを踊り始めるずっと前のことだ。
某月某日
[click to snapshots] スリランカ料理店にて。羊ページ管理者が食事中、相手の好みを聞いてみる。
「何か苦手なものありますか?」
「えーと、羊、、」
「なぬ?」
Photo: "えーと、じゃあまずはイカでも頼みましょうか" 2005. Tokyo, Sony Cyber-shot U20, 5mm(33mm)/F2.8
某月某日
ホリエモンの戦いを見ていると、既得権との戦いは大変だなぁと思う。
放送法などの法律と、オープンとは言い難い商習慣によって新規参入が制限され、ケイレツが崩れた日本企業社会のなかにあって、堂々と「系列局」なるものを従えている、メディアの巨艦キー局。放送の公共性だ、ジャーナリズムだと、面白い意見があるようだが(それらは、主観の問題)、簡単に言ってしまえば、その存在意義は、圧倒的なリーチだ。
一方、メディアの先端、という意味では、テレビはとっくに終わっている。ホリエモンもテレビに求めるのはリーチだ、先端とかリッチネスとか、そういうものを彼は求めていない。テレビに出ている(笑)コメンテイター達は、口々に「テレビの立場が揺らぐわけがない」というコメントをしているが、そんなコメントが出る事自体、もう足許がやばいんだろうなぁと思う。テレビは変わろうとしているかもしれないが、所詮は「主番組の視聴率を脅かすようなことはできない」わけだ。
ホリエモンを評して「身も蓋もない」と書いてあるのを見たことがあるが、その通りだと思う。非情、というか、無情な拘りの無さ。僕は別にホリエモンは好きでもキライでも無いけど、自分の会社を育てる原動力になったネットに拘る事無く、リーチの面で有利だと思うなら、テレビにすら手を出そうとするその大胆さは評価する。凡庸の経営者なら、自分が創業したセクターよりも、遅れたセクターに手を出したりしない。
印刷技術が知識を人々に開放し、新聞がニュースを生み、ラジオが「ブロードキャスト」を広め、テレビがとどめを刺した。しかし、ネットのつながりが、初めて限りなく低いコストで多対多のコミュニケーションを可能にし、メディアのヒエラルキーが崩れた。もの凄く短く言えばそういうことで、テレビがそれ以前のメディアを打ち負かしたように、テレビもまたネットに負けたようだ。
その事実を、多くのテレビの人たちは受け入れることができないのではないかと思う。お金が動く世界だから、それだけの既得権があるのだろう。まあ、せいぜい頑張って公共性だ、ジャーナリズムだと、既得権を主張して欲しい。でも、ホリエモンが勝っても負けても、テレビが「詰んでいる」ことは確かだ。
それにしても、買収・合併当たり前の業界に身を置きながら今回の騒動を見ていると、なにを今更買収ぐらいで騒いで居るんだ、というのが感想。
某月某日
[click to full size photograph] 払暁、撮影者にとってのマジカルアワー。宿のベランダから、未だ生まれぬ朝日に雪山が照らされる。深夜にこの部屋に着いたので、周りの様子はまるで分からなかった。こんなに山が近かったか。目を洗うような白に、裸足でベランダに飛び出した。
残念ながら、コンパクトデジカメでこの色が出ない。(僕の腕なんだろうが)以前、重たい思いをして AF 一眼レフを背負って滑ったのは良いが、低温でちっともうまく動作せず、それっきりスキーにカメラを持って行く気が無かった。こんなことなら、T3 ぐらい持ってくるんだった。
「雪国」に来たのは、実は数年ぶりで、キリリとした寒さが一瞬気持ちいい。まあ、その後は体が冷えてしまって、どうにもならないんだが。
温泉につかってジワジワしていると、足と手の先に温かさがしみ込んでくる。湯気の向こうに、自分の足先が覗いているのを眺めながら、単純に「これはいいなぁ」と思う。旅に出たときに、昔は色々考えたけど、最近はあまり考えないようになった。
深く息を吸い込む時間。
Photo: "A Magical Hour" 2005. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.
某月某日
[click to snapshots] カレー部の人曰く、外国に行ったからこそ、ご当地のカレーを食べるべきだと言う。中国。この国にカレー屋なんて、、あった。普通に。しかも、「インド料理としてのカレー」ではなく、「日本的カレー」だ。
店構えは、日本のファミレスとカレーチェーンを足して二で割ったような感じ。簡単なテーブル席が用意されていて、今風にかつ安っぽく飾り立てられている。
カレーはトッピングによっていろいろ種類があるが(ソーセージカレーとか)、飲み物付きでどれも一皿 25元。300円ぐらいだから、あんまり安くない、ということは現地の感覚で言うとかなり高いということになる。でも、南フランスからの報告によれば、ご当地では日本的カレーは一杯 3,000円ぐらいするらしいので、それよりは現地の感覚的に言って安いかなぁ。
メニューの写真を見ると(写真メニューがあるということ自体、なんだか日本のカレーチェーンみたいだ)えらく景気良く具が載っているので期待したが、出てきたものは割にしょぼかった。もっとも、日本のカレースタンドみたいな具のないカレーに比べれば豪華で、単に中国的具大盛りに目が慣れたせいかもしれない。
味は、いたって普通のカレーで、ちょっと甘口。ビーフカレーを頼んでみたが、牛肉は薄切りになっていて、角切りの馬鈴薯がゴロゴロ。妙に家庭的だ。で驚くべき事に、真っ赤な福神漬けが付いてきたよ。ここまで来ると、ほとんど日本食レストランだね。
この日本的カレーの普遍性、世界を制覇するかもしれない?!
、、で、その不味そうに食べてるモノは何ですか?何、カレー炒飯。中国だから、こっちの方が安全だと思った。いや、そんなことは無いでしょ、、。なに?冷めてる?それはきついな。
Photo: "日本的中国カレー" 2004. Beijing, Sony Cyber-shot U20, 5mm(33mm)/F2.8
某月某日
[click to snapshots] スキー場で、乙カレー。
(普通にうまい)
Photo: "乙カレー" 2005. Niigata, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8
700円也。
某月某日
[click to snapshots] 音楽には浸透圧のようなものがあって、その時の気分とあえば、スッと体に入ってくる。
それが見つからなくて、夜中に CD をえんえんとかけかえたりすることがある。
夜に何を聴くかと考えると、定番と言われる Glenn Gould の Goldberg Variations. この曲、そもそもはある伯爵の不眠症を癒すために作られた、言ってみれば子守歌だ。その鮮烈な演奏に、1982年の解説書には、「子守歌の効果をひきだすことは不可能であろう」とあるが、神経が高ぶっているような時は、かえってよく眠れる。ちなみに、僕が聴いているのは、Gould 最晩年の録音、そこにある静謐。
人間は衰えていくものだけれど、年を経てもっと自然に、自由になるってこともある。昔、まったく良いと思わなかった歌手が、ふとすごく抜けて、良い感じになっていたりする。YUKI とか。
そういえば、世代的には YUKI って、多分リアルタイムだとは思う。(当時はバンドだったけど)
M-ON! あたりで最近やたらに流れている JOY って曲がなんとなく気にいっていて、力の抜け方が、聴いていてとても気分が良い。PV での格好は、あしたまで(年に 3回ぐらい見る)「下北沢でパンを買いに並んでる女子」なんて言われていて、言い得て妙だけど。(頭が二色になってるし)
Photo: "夜の底" 2003. Tokyo, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8
CBS SONY, "Glenn Gould, Goldberg Variations" 解説書から、1982年、諸井誠。