某月某日
[click to snapshots] えーと、これは愛だそうです。確かに愛かなぁ。2つになってんだね。
岡本太郎記念館の2階、この FRP 製の作品「愛」は床の上に転がっている。いや、置いてあるんだろうけど、周りに柵もなにもなくて、好きに見られる。回り込んだり、しゃがんだり、座ったり、、はさすがにしないけど。
別の部屋には、同じく太郎の「作品」である椅子が置いてあるのだが、あまりにもそっけなく置いてあるので、みんな作品とは気がつかずに、座ったり荷物を置いてみたりしている。「作品」に腰掛けて、「うーん」みたいな表情で壁にかけられた「作品」を見ている人。なんとなく、微笑ましい。
太郎の作品は、どれも、「これって、どう思われるかな」なんて考えていなくて、「こうだっ!」という強さがある。羊ページと大違いだ。自分が感じたことを信じること、それをそのまま表現するリスクを恐れないこと、いや、恐れたとしてもやってしまうこと。
なんて疲れそうなやり方、と思うけれど、それでなくてはいけないのかもしれない。人生は短いんだから。(黒澤明の「生きる」を見たりしたものだから、こんなことを書いてるのかも)
Photo: "愛:岡本太郎作" 2004. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.
某月某日
「今のところは、もっぱら深夜の受話器や同好会のサークルノートにたたきつけられている、青春の情熱や個人的な愚痴や妄想や表現欲求が、大量に出版され、あるいは電話回線を通じて不特定多数の読者に向かってバラまかれるのだとしたら、これは相当に鬱陶しいことになるに違いない。*1」
と、小田嶋隆が書いてから約 15年。予想通り、事態は相当に鬱陶しい事になっている。電話回線どころか 100Mbps の光回線に乗って、億千の繰り言が目前のディスプレイまでやってくる。
僕はまた、小田嶋隆の「我が心は IC にあらず」を読んでいた。
何度読んでも、面白い。コンピュータという産業自体が、まだまだヤクザだった黎明の時代。そんな時代に、20代フリーランスのテクニカルライターが紡いだ文章は、15年の時を経てなお、面白く、そして振り返ってみれば、たくさん正しかった。小田嶋隆の文章は、かつての本の時代にあって、今の web のような独特の「近さ」みたいなものを持っていたのであって、間違いなく新しかったのだ。
ついぞ考えた事がなかったのだが、今、インターネットには、小田嶋隆のホームページというものが存在する。15年前のこの本の上に固定されていた小田嶋隆というテクニカルライターは、現実の世界で、それだけの歳をとって、やはり存在していた。google で簡単に探しだしたそのページを訪れるということは、僕にとってあまりにも奇妙な体験だった。
小田嶋隆はあまり変わっていなかった。偉くなってもいなかったし、書いていることは相変わらずだった。それは、喜ばしいことではあったが、僕をなんともやるせない気分にもした。向こう見ずな 20代の小田嶋隆が、いきなり、40代子持ちの小田嶋隆になり、そしてあいかわらず文章を書いていた。
彼が書いたあまりにも正しい約 15年前の文章。そして、きっちりその分だけ歳をとって突然目前に現れた小田嶋隆。ノスタルジーではない。彼自身が予見したテクノロジーが生み出した、軽い、衝撃。
*1 我が心は IC にあらず、小田嶋隆、1988年, ビー エヌ エヌ。(絶版)
某月某日
blogをはじめてみた。ひつじlog
某月某日
[click to snapshots] 今週は秋刀魚ばっかり食べているような気がする。メニューに秋刀魚があると、脊髄反射で頼んでしまう。で、頼んでいきなり出てきちゃったりするとガッカリだけど(そんな店には行かないが)、焼き上がるのをわくわく待つのは楽しい。オヤジ系定食だけど、やっぱり、塩焼きが一番ですね。
でも、僕は秋刀魚のキモが食えない。大人の味、だから大人になったら食えるようになるかと思っていたが、無理なものは無理みたい。脂身が食べられない人のことが、ちょっと分かる。魚は綺麗に食べるほうなんだけど、秋刀魚はそういうわけで、いまいち骨だけしか残らないっていう訳にいかないのが悔しい。でも、この店のキモ焼きは食べられるんだよな。新鮮な秋刀魚にキモを使ったタレを塗して、炭火で焼いてある。この時期だけのメニュー。
秋刀魚を食べると、やっぱ日本の秋の味だよなぁと思う。外国でも食うのかな?辞書を引いてみると、a Pacific sauryっていうらしいから、きっと獲れるんだろうけど。
そういえば、小津安二郎の映画「秋刀魚の味」。そんなタイトルがついてるのに、最後まで秋刀魚が出てこない。でも見終わると、ああ、これは間違いなく「秋刀魚の味」っていうタイトルだなぁと思う、そういう凄い映画です。秋にオススメ。(料理の映画じゃありません)
Photo: "秋刀魚のキモ焼き" 2004. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.
某月某日
今日で 9.11 から 3年。本当の悲劇は、あの事件の後から起こったのかもしれない。
イラクでの、アメリカ兵の死者が 1,000人を超えたそうだ。大量破壊兵器はどこにあったのか。やはり石油のための犬死か。そういえば、9.11 の犯人を捕まえるのはどうなったんだっけ?冷戦が言い訳であったように、テロとの戦いも言い訳だ。一生のうちに、二回もこんな愚かな行いを見るとは思わなかった。
今日、何故かイージーライダーが放送されていて、また見てしまった。ジャック・ニコルソンの台詞がやっぱり凄い。「自由を説くことと、自由であることは違う」というあたりの下り。自由を体現するものへの怖れ、そしてそれを潰そうとする力。また繰り返しなのだろうか。
某月某日
[click to snapshots] 相撲マニアのフィンランド人マキネン(仮名)は、ちゃんこ鍋を食べたくて仕方ないらしい。ちゃんこだちゃんこだと言う。前回来日した時には、「どこでもいい」と言うから焼き肉に連れて行って生肉を食わしたので、内心懲りたのかもしれない。まあ、そこまで言うならちゃんこに連れて行ってあげるか、ということになる。しかし、残暑厳しいこの季節に鍋か?
小汗すらかきながら店にたどり着くと、客は 2組ほど。人気の店と(ネットで)評判だったので予約していったが、そんなものは必要なし。案内しておいてなんだが、ちゃんこ鍋って食べたことないんだよな。せがまれて名物料理に行ったはいいけど、案内した当人は食べたことが無いって、割とありがちだと思う。相撲だって観たことないし、ちゃんこも喰ったことないし、だいたいそんなもんでしょ。
この店のちゃんこ鍋は金属製の浅めの鍋に、白みそ仕立て。エノキ、鶏団子、油揚げ、などなど。ちゃんこ鍋ってどういう意味かと聞かれて、鍋は hot pot だと誤魔化したが(chanko pan が正しい?)ちゃんこの意味が分からない。お店の人に聞いてみたら、ちゃんは親方、こは弟子の意味なんだそうだ。そうか、「ちゃん」ってあの大五郎が叫んでる言葉か。
マキネンは、スィイタケ、スィイタケと言いながら、エノキダケを喰っている。mushroom のことを、椎茸と覚えているのかもしれない。放置しておく。喜んで食べている彼の顔を微妙な表情で見ている我々に気付いて
「ちゃんこ好きじゃないの?」
と言うが、いや、そういうことではなくて、普通、この時期に鍋は食わない。見ろ、店はガラガラじゃねーか、という話だ。ちゃんこ鍋自体は、少し塩味が強い気がするが普通に美味しい。でも、なんか冷房をめちゃくちゃ効かせた中で鍋を食べるというのも、ありがたみが無い。それよりは、前菜で出てきた、鰹のタタキが美味しかった。ネギとポン酢が容赦なくまぶされていて、ポン酢マニアにはたまらん。
それにしても、量が多くて、前菜は2人前、ちゃんこは 3人前を 4人でシェアしたのだが、もういらん。最後のウドンは、2人前で鍋が溢れる感じ。マキネンに「そんなことでは横綱にはなれんぞ」とはっぱをかけて、喰わすもののまるで減らなかった。さすが、ちゃんこ鍋だ。
Photo: "残暑のちゃんこ鍋" 2004. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.
注:AF 機泣かせの湯気が立つ鍋。うまくなさそうに撮れているが、実際、うまくなさそうな見た目だった。(うまいんだが)
注:ちゃんこ鍋の語源は諸説あるようです。広辞苑ではちょっと違います。
ちゃんこ‐りょうり【ちゃんこ料理】(「ちゃんこ」は「おっさん」などの意で相撲部屋の料理人) 力士社会独特の手料理。多くは魚・肉・野菜などをごった煮にし、ちり鍋風にして食べる。栄養価が高い。ちゃんこなべ。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]