某月某日
[click to snapshots] 恐いモノ見たさで歳末のアメ横に行ってみた。恐かった。
筋子にたどり着くのは 5秒であきらめた。つーか、これじゃいい鴨だ。店頭で回っている「自動さきイカ機」に激しく興味をそそられたが、ここで買ってしまっては思うつぼなので我慢する。
何も買わないで、喧噪を見るだけならけっこう面白い。両手一杯の荷物を抱えて、人混みでスタックしている人を見るに、何か買おうとすると、大変なことになりそうだ。「なんでも千円〜」のかけ声におばちゃんが群がっている。ちょっと外れた路地では、どさくさに紛れてバナナとかも売ってる。しかも、全然安くない。
どこか街を見渡せるところはないか考えて、思い当たるビルへ。階段を登ると、べーカムを準備するテレビのスタッフに行き当たった。結局、誰も考えることは同じか、、。確かに、ここだと「それっぽい画」が撮れるにちがいない。そして、お茶の間に「それっぽい画」が、今年も届くのだ。もはやそれは様式美。
アメ横の人混みを満喫して、電車に乗って、ちょっとだけ鮨の食べ納めをして、今日はおしまい。
Photo: "もう何がなんだか" 2003. Tokyo, Japan, Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.
注1:それにしても、こういう人の顔が入ってしまう写真は微妙で、、。背景としての雑踏ということで、ブックマークサイズの写真にしました。
注2:ここまで小さくしても、U10 と比べると次元の違う絵を出す Tvs Digital は腐っても Contax ということか。
某月某日
歳末で、ごみごみしたところには行きたくない、買い物なんてもってのほかだ。っていうか、この時期に何を買えと。筋子か。(筋子は好きだが)
war photographer を観に行った時に、結構気に入った東京都写真美術館に行こうと思って、念のため web で調べると、昨日から新年まで休館。そのほか調べてみると、美術館の類は、軒並み休館。帰省で静かな街で、ゆっくりするにはそういうところが開いていたら素敵だと思うのだが、まあ、係の人にも休む権利があるか。
そうこうしていると、ネットで頼んでおいた、Glenn Gould の CD が届いた。 images というコンピレーション。2枚組なのだが、1枚目が Bach, 2枚目が not Bach。面白い。その道の研究者が撰んだだけあって、ただのメジャー演奏の寄せ集めではなくて、ちゃんとカラーがある。この間の今日の一言で、複製芸術について書いたけれど、そういえば Gould は複製芸術の可能性を信じたアーティストだった。デジタル録音をいち早く採り入れただけでなく、そのキャリア半ばでライブ活動をやめてしまったぐらいだ。どんな路線でも、やっぱりエッジにいかないとダメだね。
Gould をかけっぱなしにして、少しメールを書いたり、山を成しているダイレクトメールをシュレッダーに放り込んだりした。「お土産はなにがいいでしょう?」帰省している後輩からの電話をのぞけば、ほんとなんにもない年末の一日。来年はどんなことをしようか、まじめに少し考えてみたり。日差しはすぐに弱くなって、冷ややかな闇が落ちてきた。
やはり明日は筋子を買いに行くか。しかもアメ横に。(いや、、それは、、)
某月某日
[click to full size photograph] 一週間焼肉というのをやってみた。サイドオーダーは許されるが、バランス的には、肉をおかずに、飯を食べるような感じだ。
レバー嫌いにレバーを食べさせてみたり、焼き肉というより生肉という勢いで食べてみたり、いろいろバリエーションを楽しむ。ただし、寝ても覚めてもメニューは焼き肉。
初日は嬉しい。二日目はちょっとうんざりで、三日目は凄くイヤ。四日目以降は、諦めの境地に達する。
「また肉か、、しょうがねぇなぁ、、」みたいな。あるいは、「よし、そろそろ夜肉いくかぁ、、」みたいな。さぞかし健康に悪いかとおもいきや、べつに、体調を崩したりはしない。しかも、意外なことに、肉だけ食べているぶんには太らない。よく、何か単一ものをひたすら食べるダイエット方法があるが(すりおろしリンゴダイエット、某フルーツジュール使用 24時間ダイエット等々)、肉ダイエットでも痩せることはできる。シナボン・ダイエットだって多分、不可能ではないはずだ。
日ごろ焼き肉については、割と鍛えている我々も、一週間の最後の方はちょっと肉をなすり合う感じ。
なにこの霜降りの肉。カルビなの?うげー、霜降りか。お前喰えよ。まて、俺の皿に入れるな。、、じゃあ半分にするか。良く焼こうよ、脂落ちるし。
Photo: "上カルビ、あるいは上脂" 2003. Tokyo, Japan, Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.
注1:合わせてどんぶり飯とかを大食いしたらどうなるかは保証の限りではない。
注2:いや、たぶんこの肉は普通に食ったら旨いのだと思うが。(実はこの肉は、見た目より、かなり安い、、)
某月某日
[click to snapshots]
あるレーベルの人から「音楽は、宗教なんです。CD を買うお金はアーティストへのお布施なんです」という話を、聞いた。音楽産業を表すのに、こんなにぴったりした言い方はない。でも、最近の音楽は、ただ消費されていくファーストフードの月替わりメニューのようにも思える。いずれにしろ、音楽は芸術である以上に、「産業」なのだ。
もともと、オリジナルのパフォーマンスを聴くしかなかった音楽という芸術は、ラジオ、レコード等の複製・流通可能なメディアの出現によって、大きな変貌を遂げた。かつて自分自身がパフォーマンスを行うことでしか対価を得られなかったアーティストは、たった一度の演奏を無限に複製することで、対数的な富とプレゼンスを自身に集めることができるようになった。複製芸術の誕生だ。それによって、音楽は産業になった。でも、その「産業」が永遠に持続可能なものだとは、誰も保証していない。事実、その輪郭はこの数年でだいぶ崩れたような気がする。
今世紀の音楽産業は、複製技術の進歩と広告プロモーションの洗練によって発展した。そして今、100% 同じコピーが作成可能なデジタル複製技術と、コミュニケーション・メディアの多様化に伴う嗜好・興味の細分化によって、そのビジネスの前提が崩れようとしている。メディア技術の進化に依存して巨大な富を産んだ複製芸術は、皮肉なことに、その技術上の頂点に達した瞬間に、金の卵を産み続けることができなくなった。
じゃあ、音楽は無くなるのか。そんなことはない。既存の音楽産業の形態が崩れたら、日常から音楽がなくなってしまうかのような事を言う人もいるが、そんなのはただの脅し。ビジネスがあって音楽が生まれたのではなくて、音楽がたまたまビジネスとして今のような形態の音楽産業を産んだだけの話。あるものが崩れたら、あるものが生まれる。
例えば、最近割と面白くてインターネットラジオで合わせることが多い magnitune.com。ここは、曲の売値の半分がアーティストに行くという、クリアな利益モデルをとっている。ネットを使って中間コストを省き、かつ、アーティストへの利益配分率を上げることで、アーティストが一発ヒットをねらわなくても、食べられるような仕組みをつくっている。これから大切なのは、常識的な利益率と、選択肢の提供ではないかと僕は考えている。もちろん、新しい試みは、そう簡単に成功しないだろう。でも、歯車が逆転することもないはずだ。
Photo: "なんか憧れる、こういう機械" 2003. Tokyo, Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8
注:magnitune のトップページには We are not evil. と書いてある。面白い。
某月某日
[click to snapshots] 東京、某所。表にランチメニューなんて貼ってない。一見には敷居が高い、というか、無理。
暖簾が下がっているわけだが、最近の良くある飾りみたいな高い位置にあるやつじゃなくて、ちゃんと潜らないと入れない。だから、入(はい)り口のあたりの布が、ちょっと寄っている。それがまた、難易度が高い。
それでも、魚を焼く芳ばしい香りに惹かれて引き戸を開けると、店の中は、かなーり昭和。で、凄い混んでる。戦場。客筋は食通っていうのではなくて、昔からこの店で喰ってる、みたいな人が多い。
数名のおばちゃんと、焼き方の板前(老練)が、謎のロジックで大入りのお客さんをさばいている。飯は軽めが良いとか、納豆から卵を抜いてくれとか、早く焼けるやつをくれとか、そんな混沌とした注文をさばいている。厨房の脇の席で、恐ろしく熱いほうじ茶を飲みながら様子をうかがってみるが、どうやったらこれで注文を間違えないのか、さっぱり分からない。
メニューは定食だ。魚の焼き物が数種類。壁に貼った定食の短冊は、もはや変色している、何年も同じだ。日替わり、みたいな軟弱なものはない。ここには鯖味噌も、生姜焼きもない。焼き魚か刺身を食う店なのだ。
皿からこぼれる大きさの照り焼き。ちゃんとした焼き魚。熱々の味噌汁には、でかい木綿の豆腐と、若布。黙々と手で盛りつけられていく、刻んだ糠漬け(凄い旨い)、手加減の無い盛りの飯。ちょっと前は、昭和な塩分濃度だったけど、最近薄味になってきた気がする。時代の流れか、でもさすがにこれは歓迎すべき事だと思う。
表の塀では、三毛が刺身の切れっ端を夢中で食べている。奥の小上がりでは、僕が鰤照りを大喜びで食べている。
Photo: "卵納豆もつけてみました" 2003. Tokyo, Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8
某月某日
[click to snapshots] 沖縄という土地は不思議だなぁと、僕は思っている。離れれば、それだけ、インパクトがある。変に政治とか歴史とか、そういう話にしてしまう奴はほっといて、矛盾のカタマリみたいな島だけれど、日本の他のどこにもない引力みたいなものがある気がする。
2年前に突然休止宣言をしてメディアから消えた沖縄出身の歌手、cocco。彼女は、いわゆる職業:アーティストというんではなくて、ホンモノの歌手だと僕は思っている。で、この2年、彼女は故郷の沖縄で、海辺のゴミをひろっていたらしい。そんな彼女が沖縄の子供達の合唱をバックにして、10分間だけのコンサートをやった。その DVD が出た。
「coccoって、誰?」集まらないボランティア。いまいち練習に興味の乗らない、今時の子供達。商業的なカメラと舞台のスタッフ。昔の東京時代のスタッフ。きれい事じゃない、いろんな矛盾と、大人の世界の話もまきこんで、それでも、最後に合唱団と観客を納得させたのは、彼女の歌だった。この DVD、凄いよくできたドキュメンタリーとかじゃないんだけど、真摯に生きてる彼女の姿と、歌になって出てきたものの圧倒的な才能 +? みたいなものが凄い。
「(大人になっても)持っておこうと思ったら、持っておけることが、いっぱいあるから。
忘れないでおこうと思ったら、忘れないでおけることがいっぱいあるから」子供達に語られた言葉は、僕にもっと良く響いた。
変に大人にならないで。他人のせいにすることと、自分への言い訳を積みあげないで。大事なものを捨てないで。先に進むことを怖がらないで。そういうことなのだと思う。
Photo: "僕が昔撮った沖縄の写真と、cocco が撮った沖縄の写真(パッケージ)" 2003. Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8, JPEG.
コメント:筑紫が邪魔
注:もし舞台とかカメラもボランティアだったらすまん。ああいうのって、カネかかるから、、。逆に、カメラが回ってないと、僕らは DVD では見られない訳で、、。
Cocco, Heaven's hell, 2003, Victor Entertainment, Inc.
某月某日
[click to full size photograph] テレビで、美輪明宏が「現代は恐ろしい時代だ」と言っていた。
陰鬱なニュース、暗い時代。
食欲、性欲、金銭欲、そういったものを皆求め、そういったものが大事だとされ、そうしてこの現代ができあがった。そこでは、精神性とか、叙情性とか、そういうものは、単なるマーケティング上のレトリックに貶められた。
モノとカネはあるけれど、品位も誇りも、穏やかさもない。そんな金ぴかのゴミ溜めは欲しくなかったのに。気が付いたら、僕たちには、選択肢がほとんど無い。僕たちの(あるいは、僕たちのちょっと前の)世代が捨て去ったものは、あまりにも大きすぎた。
昔、美が、他のいろいろなものに勝ってもっと大切だった時代があった。そんな話は、現代に生きる僕からはとても信じられないことだけれど、そんな時代に生きてみたかったと思う。
Photo: "晩秋赤煉瓦" 2002. Sapporo, Japan, CONTAX T3, Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak EBX.
注:札幌の赤い煉瓦。もう、昔のような煉瓦は今では焼けないという。明治の時代、ドイツから来た職人が焼いた煉瓦は、人の手によって打ち壊されなければ、あと何百年か、持つだろう。今の日本で、百年後の事を考えている人は、ほとんど居ないと思う。
某月某日
[click to snapshots] いつも贅沢な広告を打つ intel の看板に見下ろされながら、飲む。何なんだ、この店の奇妙なロケーションは。
やる気無くカールスバーグを飲んでいると、ギターをかき鳴らしつつ、スペインな衣装を着たスペインの男どもがテーブルの方に寄ってきた。
イタリアで、金をやるまで帰ろうとしなかったレストランのカンツォーネ・トリオの記憶が脳裏を過ぎる。
やばい、目を合わせたくない。別に金払うのはイヤじゃないけど、今日はイヤだ。っていうか、スペインの音楽を聴きたい気分じゃないし。横のテーブルの客、アンコールとか言うな。しかも、これって端麗生の CM ソングじゃないか。あれって、ジプシーキングスなんだ。で、演奏が終わると、、
「それじゃあ、また来週〜、グラーシャス!」と言い残して、トリオは去っていった。あれ、無料?フリー?なんだ、お得じゃないか。疑って悪かった、、。
Photo: "wireless というより、unwire" 2003. Tokyo, Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8, JPEG.
注:そういえば centrino は一説には、センチュリーノらしいんだが、それは本当か。
某月某日
[click to full size photograph] そうそう、もとは紅葉を見にいこうというのが最初だったのだ。焼き肉ですっかり忘れていたが。
リフトでピクニックランドの山頂に登ると、相模湖を一望できる。
ここは、一面の紅葉、というわけでもないけれど、けっこう椛とかがあって、綺麗だ。ひっそりとした山奥の木の葉の息吹、みたいなものはないけれど、お手軽に綺麗。空気が、とても美味しい。
遠くから見ると一面の赤に染まった椛も、近づいてファインダーから覗くと、結構枯れ葉が絡んだりしている。それを手で除くの写真としてはありなのか、などと思案しつつも、枯れ葉を除いてみる。
「何、葉っぱむしってるの!?」いや、枯れ葉だから、、。紅葉をむしる人って、桜の枝を折って持って帰る人みたいでイヤだ。
日差しはもう弱くなってきていて、少し寒い。そういえば、日が短いなぁと、この時初めて思った。
Photo: "夕刻の紅葉" 2003. Sagamiko, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EBX.
注:本気で撮ろうとすると、案外綺麗な状態の紅葉って無いものです。ちなみに、この写真は、枯れ葉をどけたりしないで撮ったものです。
某月某日
[click to snapshots] 強い風に吹かれて、落ち葉が降りしきる。
金網の向こうに、電車が走っている。羽を休めていた鳩の群れが、一斉にこちらに向かって飛び立ち、頭上を過ぎてはるか高くに過ぎていく。空も高い。
スーツ姿の男が二人。線路を見つめながら、互いに視線を合わせるでもなく、立っている。
一人が煙草に火を付け、煩わしそうに煙を吐き出す。
「彼も、、そろそろ、、なぁ、、」
「、、ああ」なんか、凄い密談をしているような感じだな、、。
実際は飯喰って腹一杯なので、腹ごなしにぶらぶらしているだけだが。で、話の内容は、あいつにもそろそろ PSX 買わせるかとか、そういう内容なのだが。伊丹十三か、押井守かというようなそんな絵面で、本当に密談をする人は居るのだろうか。
Photo: "銀杏はデジカメにつらいね" 2003. Tokyo, Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8, JPEG.
注1:PSXのスペックは見れば見るほど、呪われているとしか思えないのだが、やっぱり売れてしまうんだろうか。
某月某日
[click to full size photograph] なんか、最近古いものが凄く良く感じる。
別に、昭和がブームだからとか、そういうのではなくて、もの凄い変化をくぐり抜けて、それでも実直に(あるいはたまたま)生き残ってきたものに魅力を感じるようになった。そういうものを見たり、触れたりすると、いいなぁと思う。要領よく見た目を繕っただけの、浅薄なものがなんとなく好きになれないのは前からだけれど、自分がどんなものに馴染めるのか、という方向性が自分で分かってきた感じ。
湖畔の古めかしいボート乗り場は、多分、僕が生まれたのと同じかもっと古くからここにある。はげチョロになった板壁の、飛行場の管制塔のような受付は、モダンなデザイン。窓一面にいろんな張り紙がしてあって、今でも使っているのかどうか分からないけれど、カッコイイ。こういう抜けたカタチを、最近見かけることはない。この日最後の客が使ったとおぼしきボートを繋いで、乗り場の主人がのろのろと上がってくる。
乗るのか?とちょっと、淡い期待をされるのは困るから、知らないフリをして、通り過ぎる。
水辺と板のコントラストが、ちょっとだけ、グラン・ブルーに出てきた、海辺のレストランの様に思える。ジャン・レノが、パスタを喰っていたレストラン。まあ、全然違うんだけどね。
Photo: 2003. Sagamiko, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Distagon T* 25mm/F2.8(MM), Kodak EBX.
某月某日
The Last Samurai → ラスト侍 → らすとざむらい(!)
いつも、ちょっと出遅れ気味。
注:いや、別に手抜きじゃないから、、。
某月某日
[click to full size photograph] さがみ湖ピクニックランドというのは、どうなのか。
皆聞いたことはあるだろう、しかし、行ったことはあるのか。僕はない。イメージとしては、痛い感じの動物の着ぐるみがうろうろしていたり、ベタ甘いソフトクリームが法外な値段で売られていたりする感じか?
ということで、いざ行ってみましょう〜。
「なんで並んでるんだ、、」イメージとして、寒風吹きすさぶガランとした入り口を想定していたのだが、、ゲートに車と人が並んでいる。混んでる、なんで?
ピクニックランドって何をすることろなのかいまいちよく分からなかったのだが、犬を遊ばせたり、ラジコンを走らせたり、観覧車に乗ったり、かなり好き放題なことができる。おんぶにだっこのテーマパークなんかとは対極にあって、自分で楽しみ方というか、方向性を考えないといけない。ほっといて欲しい人には、かなり居心地が良い。だって、入園チケットさえないし。(金払って、入るだけ。前売り券というのはあるけど)
で、ここでは手ぶらでバーベキューもできるらしい。食べ放題で2,100円。(食べ放題じゃないと、1,500円。日ごろ、馬鹿みたいに飲食費を使っている我々が、その600円の差に悩んだりする)なだからかな山の斜面を望む屋外で、微妙に薄曇りではあるが、清々しい、、というより脂っぽい空気を満喫しながら楽しめる。ビールなんかは、備え付けの自販機で買うので、中途半端な手作り感があって面白い。
周りは家族連れ、あるいはカップルであり、なんの関係も無く集団で来ているのって我々だけか。ホントに、我々だけだな。、、さて、焼きましょう。 女性は各々野菜を取りまくって来る。いや、そんなに焼けないから。男性は各々肉をとりまくって来る。いや、豚肉と牛肉がまざって分かんないから。もっとこう、分担とか、、まあ、いいや。俺、ポテトサラダ取ってくる。
バーベキューとはいってもグリルではなくて、野外に並んだ鉄板の上で、勝手に焼きやがれ、というコンセプトなので、コテで牛肉を伸ばしたり、並べたりしていると、
という気分になってくる。昔ファーストフードのバイトで鉄板を扱っていた人間がいたので、焦げ付きのケアも完璧だ。
でかい豚肉の輪切り。これが、食べ放題の肉としては(そんな行かないけどさ、食べ放題)たっぷり厚切りで、普通にいい。つけだれに、塩だれというのがあって、それを絡めて焼いてみると妙に美味しい。いや、別に美味しい肉とかではないんだけど、ぜんぜんあり。あと、鉄板で焼いたトウモロコシは甘くて掛け値なしにウマイ。取りすぎた野菜と麺を炒めて、粉々にして、飯を投入すれば、そば飯(特盛り)完成。最後は、押し付け合い。なんというか、普通に楽しいな、この企画。
1,400円で、園内をうろうろして、湖を眺めて、それだけで結構いいね。さがみ湖ピクニックランド侮り難し。
Photo: "肉を並べる" 2003. Tokyo, Japan, Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.
注1:驚くべき事に、セゾンカードの会員だったりすると、入園料が1,400円から1,000円にディスカウントされる。なんだそれ。お得すぎ。
注2:なんでポテトサラダ俺しか喰わないんだ。みんな嫌いなのか。