某月某日
[click to full size photograph] 「おっ」
「何」
「でかいネコ」
「五月蝿いよ」
「ふとってんな、ドラえもんみたいだ」
「失礼だね」「なんでおまえだけ、にげないの?」
「関係ないだろ」
「しゃしん、とってもいいかな」
「勝手にしろ」
「ここらへんは、たべものがいいのか?」
「まずまずだな、でも、そんな楽ってわけじゃ、、」
「なさそうだね、その はなのきず」
「、、ふん」「のらにはみえないくらい、いいけなみだなぁ」
「、、」「それに、どうどうとしてる」
「撮ったらさっさと、、」
「、、いくさ、じゃましたね」
「、、ふん」
Photo: 2001. Osaka, Japan, Canon Power Shot G1 2.0-2.5/7-21(34-102), JPEG.
某月某日
僕は、政治と宗教と、経済観測というものは、日常生活の話題としてはワイドショーレベルに留めておくのが、ある種健全なのだと思っている。
けれども、たまに、自分の考えを明確にしないといけない場合もある。飲んでいて、どこかのオヤジに「最近の若いものの意見はどうなんだ!」などとからまれた場合がそれにあたる。降りかかる火の粉は、迷わず振り払っていきたい。(いい度胸だな、やってやろうじゃないか)
年末、よくいく飲み屋兼飯屋で、あまり濁っていない濁り酒という、珍しい(意味不明な)ものを飲んでいると、近くに座っていた会社の社長だ、というオヤジが、
「なんで、日本はこんなに景気が悪いと思う?」と(一方的に)話しかけてきた。僕は、日ごろ自分で思っていることを言ってみたが、そのオヤジは、僕の答えにまったく満足しなかったようだった。もちろん、彼が語った「俺なりの意見」というのも、僕にとってはまったく的外れに思えた。
だいたい、前提からしてかみ合わない。僕の意見は「経済の右肩上がり成長なんて発想自体が、時代遅れ」というのが基本で、オヤジの意見は「日本経済の基本は右肩上がり。そうあるべきだし、そうならないのは何かが間違っている」というのが信念なのだ。バブル絶頂世代と、バブル乗りそびれ世代。ジュリアナ東京と、マック 59円キャンペーン。信じるものは違うのだ。
だいたい、議論というのは、お互いの立場の違いを認識あるいは理解するためのものであって、違いを埋めるものではない。まして、僕は酒の上での安っぽい共感みたいなものが、大嫌いなのだ。
オヤジ「な、そう思うだろ?」
僕「いや、まったく思わない」
結局、店の人に、そのオヤジはお茶とリンゴを与えられ(「飲みすぎ」と判定)、僕はアルコール度数 60度の泡盛と漬物を与えられて(「飲ませとけ」と判定)、その勝負は両者物別れに終わった。店の方、ごめんなさい。
世界平和って、難しい。
某月某日
[click to full size photograph] 誰かは忘れたけれど、どこかの写真家が、こんなことを言っていた。
「写真を撮るんだったら、日頃から、いい色を沢山見るようにしろ」
「たとえば、朝、ちゃんと空の色を見て、目を綺麗にしろ」
僕はその言葉を聞いた日から、割と熱心に空の色を見たり、地面に落ちた紅葉を眺めたりした。やがて季節が変わり、葉っぱの色は色あせて、見つめる目が冷たい風で潤むようになった。日々の習慣は、僕の目に、いろんな色の存在を思い出させていた。
ある日の朝、僕はいつもよりだいぶ早く起きた。凄く寒くて、天気が良かった。空の色が、いつもと違って、ちょっと凄い感じだったので、ちゃんと見ておこうと思った。
思い切って、窓を開け放ち、身を乗り出した。冷え切った窓枠をつかむ手がかじかんだが、風は穏やかだった。柔らかい光が、雲の周りに煙っていた。
払暁。素敵な景色に出会えた。
Photo: 2002. Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX.
注:ふつ‐ぎょう【払暁】明けがた。あかつき。「―の勤行」[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
某月某日
[click to full size photograph] (前回のつづき)そして、現れた「大阪名物くいだおれ」である。その店は、1階の総合食堂から、8階の割烹御座敷まで、様々な種類の料理が食べられるようになっている、言わば食のデパートである。(東京で似たものを探すとすれば、秋葉原の肉の万世ビルみたいなものかもしれない)
なかでも、一番目を引く 1階総合食堂のメニューは、Web にも出ていないので、実際に大阪にいってみないと分からない。「ファミレスの元祖」と看板を出すだけあって、およそ「外食」というシチュエーションで考えられるあらゆるメニュー(ただし、一昔前の外食)が揃っている。
実は、各種メディアで良く見る、あの高名なる「くいだおれ人形」のすぐ後ろに、食のデパート「大阪名物くいだおれ」のメニューは陳列されている。日本オリジナルの高精細食品サンプルが豪華に並ぶショーウインドウ。ステーキ、エビフライ、オムレツ、けつねうどん、たこ焼き、そして、その中央で燦然と輝く「たこ焼きうどん」。
たこ焼きうどん?
あの「たこ焼き」に、関西人自慢の「うどん」、そして醤油が入っていないとしか思えない「だし」。あまりにもツッコミどころ満載のこのメニューは、いったい、非関西人をおびきよせるための何かの罠か。あるいは、関西人にとっては、これが普通のメニューなのか。
いずれにせよ、「またたこ焼きかよ」というのが、すべての感想。
追伸:あ、お子様ランチに鼻眼鏡がついてる、、。
Photo: 2002. Osaka, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Fujifilm RDP III
注:それにしても、日本の食品サンプルの技術は凄い。
某月某日
[click to full size photograph]
「くいだおれ」というのは、もちろん、「食いすぎて倒れこむ」ことではないが[脚注参照]、大阪の街を見る限り、食いすぎで倒れているような人間しか見ない。だいたい、たこ焼きでどうやって本来の意味の「くいだおれる」ことができるのか。間違いなく、その前に粉で死ぬ。
夜の道頓堀。雰囲気としては、少しだけ浅草あたりに近いような気がする。(気がするだけかもしれない)
東京の浅草が観光客だらけなのと同じように、道頓堀も観光客だらけだ。
浅草には浅草寺と仲店があるけれど、道頓堀にはでかいグリコと、食い倒れ人形しかない。いきおい、観光客もピンポイントに押し寄せがちになる。
アジア方面からの観光客(大阪にいったい何を見に来るのだ?USJか?)、東京からの出張会社員、ひまなおばちゃん、どっかの学生、というような人々がくいだおれ人形に押し寄せ、写真を撮り、そして去っていく。
僕はこの人形の実物をはじめてみたのだが、夜のネオンに佇むくいだおれ太郎(彼の本当の名前だ)は、少しアンニュイな表情を浮かべていた。よく見れば、ヤツは意外と笑っていない。
ところで、くいだおれ太郎は、別に街の史跡とかそういうのではなく、「大阪名物くいだおれ」という、でかいファミレスみたいな食べ物屋のマスコットらしい。(知らなかった)いったいそこでは何が食えるのか、それは次回。(つづく)
Photo: 2002. Osaka, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Fujifilm RDP III
注:くい‐だおれ【食い倒れ】クヒダフレ 1. 飲み食いにぜいたくをして貧乏になること。「京の着倒れ、大阪の―」2. 仕事をしないで遊びくらすこと。また、その人。くいつぶし。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
注:羊ページ管理者は、大阪の美味しいお店とか、そういうものは知らないし知る気にもならないので、興味のある人は、くいだおれ大阪どっとこむ!でも見てください。
某月某日
[click to full size photograph] 向こうのカウンターで、一人客の取り留めの無い話を、初老のヘッド・バーテンダーが聞いている。
ホテル最上階からの冬の夜景は、ガランとしていて、少し寂しい。
ソファーに沈んで、そんなバーの景色を眺めている。
冷たいグラス。
コストと合理性を考えるなら、手で真円に削った氷は意味がないかもしれない。酔うためだけなら、もっと安上がりなやり方はいくらでもある。ただ、そうではないお酒を飲みたい、そういう日もある。
オヤジのお中元洋酒だと思って、飲んだことがなかったカミュ、という名前のブランデーは、存外悪くなかった。
蝋燭の炎に照らされた透明な氷と、磨き上げられたグラスは、飲むのが惜しいほど綺麗で、眺めていると優しい琥珀色の香気が、立ち上ってくる。
いつの間にか、お客がまばらになっていた。カウンターの客は、まだ何か話している。
僕は、少し氷の溶けた残りのお酒を、ゆっくり飲んだ。
Photo: 2002. Osaka, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Fujifilm RDP III
某月某日
[click to full size photograph] 東京にも雪が降った。
心なしか人通りの少ない都心を歩く。今年の初雪は北海道で見た、というよりも、大雪に降られた。つい、半月ほど前のことだ。その冬が、東京までやってきた。東京の雪は、べたべたして少し汚かった。
雪で大混乱しているいつもの路線を避けて、乗りなれない経路で会社に行ってみる。駅名がよく聞き取れなくて、一つ手前の駅で降りてしまった。
地下鉄の長い階段から地上に出ると、都心は見慣れない雪化粧して、一晩ですっかり冬になっていた。雪を見てもあまりはしゃぐ気分になれなかったのは、このところ風邪気味のせいか。それとも、混む電車が嫌なのか。あるいは、雪合戦をするようなこともなくなってしまったからか。
鼻かぜかと思ったら、熱が上がり始めた。毎年、この季節はこういうものだから、また今年もかと思う。
無理をして、肺炎までいったこともあったから、今年は早めに休むようにした。でも、なんだか、頭がぼうっとしている。おかしいと思って体温計で図ったら、37.8度をさした。急にやる気がなくなった。
翌日、もう一度測ってみたら、同じく 37.8度だった。よくよく見てみたら、体温計は壊れていた。何を測っても、37.8度になるらしい。
まあ、そんなこともあるかと思い、しばらく休んでいることにした。
Photo: 2001, Japan, Hokkiado, Nikon F100, AF ZOOM NIKKOR 35-105mm F3.5-4.5D, AGFA Mono-color.
某月某日
今日は寒いので、昼飯にラーメンでも食べようかと思ったら、出てきてビックリ、餡かけの具がかかっており、まるで冷めないおかげで、ちっとも食えない猫舌の皆さん、こんにちは、羊ページです。
同僚で、食べるのがえらく遅い女の子がいる。喋ってばかりで遅いとか、好き嫌いばっかりで遅いとか(例:ピラフからピーマン片を全部除去する)、そういうことではない。単に、遅いのだ。
はじめて皆で昼飯を食べに行ったとき、「私食べるの遅いんです」と言っていた割りには、まあ、なんとかなるかと思っていたら、「今日は必死で頑張った」という。確かに、料理が来てから、彼女は一言も喋らず、丼と格闘していた。食べるのが遅いというのは、特に都心のランチ戦争的状況のなかでは、たいへんだなぁと思う。
僕は、食べるのは早くもなく、遅くもない。しかし、猫舌という弱点をつくメニューを頼んでしまったときは別。特に、これからの寒い時期は、猫舌で冷え性の人間にとっては、きわめて微妙な時期である。
暖かいものを食いたく、かつ、熱すぎるものは食えない。例年よりはやく雪が降るようなこのお寒い御時世では、ランチメニューも、いきおい熱いもの系になりがちだ。
たっぷりとしたラーメンの上に、餡かけがかかってやってきた時の「しまった感」、あるいは、周囲につられて芳ばしくチーズの焼けたグラタンなどを頼んでしまったときの「やっちまった感」。はたまた、今日の吉野家はちょっと飯が熱くないか?という「ざんねん感」。
そういう時は、「昼飯ぐらいゆっくり食おうよみんな」と思ってしまう。あるいは、せめて「ぬるいもの屋」みたいな(ファーストフードでもいいから)、食い物屋をつくっていただきたい。ぬるめ豚汁とか、人肌ラーメンとか、絶対固定客がつくと思うのだが。
注1:極度の猫舌は、ラーメンにさえ氷を入れるという。僕はそこまではいっていない。
注2:吉野家の飯が熱い場合(そして熱いのだが)、半熟卵を投入することによって、かなり緩和することが出来る。
某月某日
[click to full size photograph] 大人になってから、メリーゴーラウンドに乗るのは、結構恥ずかしい。その古めかしい機械にまたがって、いまさらどんな夢を見ればよいというのだろう。
でも、それが動き始めて、景色が回り、俯いたまま立ち尽くしていた白馬達が走り始めると、なんだか楽しくなってくる。
そう、昔のこと。エッフェル塔の袂に、小さな遊園地があった。いくつかの綿菓子を売る屋台、いくつかの小さな乗り物。少し寂しい、素敵な遊園地。その真ん中に、メリーゴーラウンドがあった。
セーヌ川から吹いてくる冷たい冬の夜風の中に、きらきらと浮かび上がったメリーゴーラウンド。
暫く眺めていると、動き出した。
フランス人形のような子供達にまじって、サングラス姿の大人が1人乗っていた。黒服の、マフィアにしか見えないスキンヘッドの大男が、木馬にまたがってニコニコしている。彼は、くるくると、光の中を駆けていった。
Photo: 2000. Tokyo, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film,
注:さすがに、普通の人は、男一人では乗ったりしない方が良いかもしれない。
某月某日
最近の Mac の CM ってやっぱり不愉快だと思う。
学生が出てきて「E-Mail 書いてたら落ちた、PC 最低〜」とか言ってる、そういう CM。あれを見て、「おお、オレも Mac に買い換えよう」とは思わなかった。むしろ、こんなヤツの使っている機械は、「絶対に買わないようにしていきたい」と思った。
この CM が、2年ぐらい前に流れていたら、もしかしたら「アリ」だったのかもしれない。でもこの CM のノリは、なんというか、今の時代の気分じゃない。それに、今の僕の気分でもない。そういうタイミングって、意外と大切だ。特に、広告みたいなものの場合は。
昔の Apple の宣伝は、「良さの分かる人だけ、Mac を使ってください」というか「アホは使うな」という感じの、ある種、高慢なテイストがあった。それはそれで、カッコ良かった。今の、「簡単だから使ってみてよ」的なノリは、ダメだ。この不況の時代に、結果としてデフレ的テイストの CM を打ってる。ある種の、精神的な安売り Mac だ。
冒頭の CM は、Apple の SWITCH という乗り換えキャンペーンの一環らしい。で、そのキャンペーンの Web サイトに載っている、通販番組の体験談みたいなコーナー。実際のユーザーの声という設定(?)で語られるメッセージは、あいもかわらずの使いやすいコンピュータというメッセージ。
「触ってみたら、思ったより簡単だった。PCより使いやすい」そうか?僕は、Mac から Windows に乗り換えたときに、ほぼ逆の事を思った。
「なんだ、触ってみたら思ったより簡単だ。場合によっては、Mac より使いやすい」実際、慣れれば使い心地なんてそんなに変わるものじゃない。PC から Mac に乗り換えて得るものがあるように、Mac から PC に乗り換えても同じように得るものはある。(いずれにしても、失うものだってあるが)それから、あのキャンペーンで語られてる PC 像って、いまから何年前の PC だよって。
ちなみに、もともと熱心な Mac ユーザーだった僕が Windows に乗り換えた理由。それは、頑固な Mac ユーザーとして知られた坂本龍一が Windows に乗り換えたときの一言だった。Windows ユーザーになった教授は、だいたいこんな事を言っていた。
「すぐ慣れますよ」そして慣れた。
さて、この前、久々に新しい Mac OS を触ってみた。すっかり Windows に慣れてしまった僕には、簡単どころかさっぱり分からなくなっていた。いかに見た目の良いインターフェイスとは言え、いまさら Mac の操作を覚えなおす気にならないのは、僕の好奇心が薄れたのか、それとも。
注1:ネットでは、Mac を賛美する文章はよく見るけれど、批判する文章をあまり見ない。そうなると、書いてみたくなる。Mac って超プロプライエタリの非オープンプラットフォームなのに、その点をまるで非難されない、不思議なコンピュータだ。
注2:まともな可搬ノートをちっとも出さない Apple に痺れをきらして、僕は LC630 以来 Mac を買っていない。彼らは一時の互換機路線を捨て、今も OS とハードウェアの両方を独占し続けている。Mac のハードウェアは見た目こそ良いけれど(趣味によるが)、ラインアップは少なく、値段も高い。競争が無いからだ。
某月某日
前にも話した同じネタを、知らず知らず話してしまって、苦笑い(もしくはあいまいな微笑み)をされている皆さん、こんにちは。羊ページです。
さて、羊ページに[検索機能]をつけてみた。誰のためというのではなく、自分のために。
実際、6年以上も書いていると、自分が何を書いたのか本当に忘れてしまう。
「コーヒーがいかに嫌いか」について書こうと思うと、実は前に結構書いていたり、あるいは、「ミッキーマウスって全然可愛くないと思うんだけど」ということは何度も述べたはずとおもいきや、一度も書いていなかったり。
何かを忘れる、ということは、「忘れたという事実の認識」さえなくなるということだ。当たり前のことなんだけれど、結構コワイ。人間の脳味噌は日々、死んでいくというのに、記憶すべき経験はどんどん増えていく。忘れたって仕方がない。だから、Web に繰言を書いたって、まあ、いいんだが。しかし、それをコンピュータの力で補ってしまえるというのも事実。どっちが、自分にとって良いのだろう。
まあ、動作も(相当)速いし、羊ページの文章だけを検索できるので、もしかしたら便利かもしれません。皆さんも、気が向いたら使ってみてください。
注1:石版とか、紙のメモとかだって、記憶の外部化ではあるんだが。