某月某日
北海道からの出張帰り、どっと疲れてバスの座席に座り込む。仕事はほとんど徹夜で、体中に嫌な疲れが残っている。東京の寒さのほうが、札幌よりもいやらしい。
バックパックを脇に置こうとして、お土産を入れたビニール袋の中身を、わらわら落としてしまった。通路に散らばる、六花亭のチョコレートやら、ご当地キティのストラップやら。
ついてない。情けない気分で、身を乗り出した時。
丁度バスに乗り込んで来た女性が、間抜けに転がったお土産達を、かがみ込んで拾い集めてくれた。
「あ、、ありがとう、ございます。すみません、、。」
僕は一瞬茫然とし、そしてオレンジ色に染めたベリーショートの後姿に声をかけた。
「いえ」
小さな返事が聞こえた。24時間ぶりに眺める東京の街は、少し明るく見えて、「親切」ってコトバを思い出した。
南の島の星の砂
Cocco
[click to full size photograph] Cocco の描く歌詞や絵はもちろん、凡庸とは一線を画していた。
それでも、彼女は歌を歌う人だった。彼女の歌声は、洒落ただけの空っぽの歌とは違って、言ってみれば、もっと美しくて、もっと深刻だった。しかし、彼女の歌手としての生活はいつも不安定で、自分の生み出したものに喰い尽されそうにさえ見えた。
2001年、Cocco はステージを去った。彼女は歌うことを、止めた。「絵本をつくりたい」残したメッセージはそれだけだった。復活コンサートも、なんの続報も、なにもなく、時間が過ぎた。一年半。
ある日、彼女の絵本が、本当に書店に並んでいるのを見たときには、とても驚いた。彼女が、たとえ何の手段によってでも、皆に向かって表現することは、再びあるまい、と勝手に思っていたのだ。
わずか数頁の、とても丁寧に描かれた絵本。物語は、幸せに終わっていた。そんな話を、彼女が描くようになったのだ。
カバーの裏に、思い切り笑っている Cocco の写真があった。そこは、太陽の降り注ぐ、夏の沖縄のようだった。彼女は還るべきところに還ったように見えた。
Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film,
書籍データ:南の島の星の砂, Cocco, 河出書房新社, 2002, ISBN: 4309265847
参考文献:Cocco―Forget it,let it go SWITCH SPECIAL ISSUE, スイッチ・パブリッシング, 2001, ISBN: 4884180011
関連ホームページ:出版案内
某月某日
[click to full size photograph] ミーティングから戻ってきて、何気なく自分のバックパックを開けると、見覚えのない「藁納豆」が 3つ入っていた。
なんという嫌がらせ。
以前、「烏賊徳利(いかとっくり)」を入れられた時は、仕方なく持って帰った。お陰で、部屋中が海産物臭くなった。
今回、泣く泣く持ち帰るのも悔しいので、ひとまず手近の冷蔵庫に保管。翌日ご飯をたいてもらって、納豆飯の会を開催することにした。
藁納豆を外側から嗅いでみたところ、かなり本格的な臭いがしたので、屋内での作業は危険と判断し、一路公園へ。羊ページ管理者は、こういうことを一人でやるのが、性格的にできないので、道ずれの他 2名とともに現地へ。
ご飯をよそって、納豆をよくまぜる。もちろん、漬物も買ってあるから、それを適宜盛り付ける。僕のバックパックに藁納豆を詰めたと思われる犯人(烏賊徳利を詰めた前科がある)には、タッパウェアに詰めた「納豆弁当」に調製して別途お送りした。遠くから、不審そうに眺める昼休みのサラリーマン数人。
結論から言えば、藁納豆は意外とウマイ。というか、戸外で本格的な仕込みの藁納豆ご飯というのは、凄くウマイ。コンビニの漬物さえ、こうして食べると清々しい。嫌がらせのお土産(オイヤゲ)であったのだろうが、普通に美味しくいただいた。(足りないぐらい)
ご馳走様でした。ぜひまた、買ってきてください。
Photo: 2002. Tokyo, Japan, Canon Power Shot G1 2.0-2.5/7-21(34-102), JPEG.
某月某日
[click to full size photograph] 「崎陽軒のシウマイ」は、ウマイ。間違いなくウマイ。
新幹線に乗るとき、旅のお供はいつだって「崎陽軒のシウマイ」だ。6個入りのポケットシウマイを酒のつまみに買うもよし、昼飯にシウマイ弁当を楽しむもよし、お買い得な 20個入りを買うもよし。しかし、漢(おとこ)なら 30個入りを購入すべきだ。多いが。
「崎陽軒のシウマイ」は、普通のシウマイとちょっと違う。具がぎっしりしていて、ホタテの味がする。シウマイの味ではなくて、「崎陽軒のシウマイ」の味なのだ。そうそう、「崎陽軒のシウマイ」は一日たってから食べるのも良い。冷たいまま食べてもいいが、フライパンで焼いたりすると、なお良い。焼くと、不思議に海老シウマイみたいな味がする。
昔、「崎陽軒のシウマイ」は横浜に行った大人が買ってきてくれるお土産だった。今は、自分で買う誰かのためのお土産になった。
出張先の大阪城公園前。
仕事先のホテルニューオータニ、で昼飯を食べると高いので、川淵でお土産にもってきた「崎陽軒のシウマイ」を食す。今朝は、危うくホテルの冷蔵庫にシウマイを置き忘れてくるところだった。チェックアウトしてから思い出して、「お土産忘れちゃったんですけど、、」と、鍵を出してもらって部屋までとりに帰った。お陰で現地のスタッフと一緒に、アウトドアシウマイだ。大阪人にも「崎陽軒のシウマイ」は好評である。
「崎陽軒のシウマイ」は、ウマイ。
Photo: 2002. Tokyo, Japan, Canon Power Shot G1 2.0-2.5/7-21(34-102), JPEG.
注1: シウマイ弁当は、地味ながら実は非常に美味。特に、さめても美味しいようにつくられている(当たり前なのだが、最近の弁当はそういうところが意外としっかりしていない)点に好感が持てる。5粒のシウマイが同梱されるが、シウマイ好きは念のために、ポケットシウマイも買っておくと幸せ度が高いと思われる。
注2: シウマイをホテルの冷蔵庫に隠匿した場合、かなり匂いがこもることが予測される。くれぐれも、ジップロックなどで密閉してから入れるようにしていただきたい。
某月某日
[click to full size photograph]
「ひたすら働いてですね、気が付いたら 20年経ってましたよ。ほんとに、あっという間でした。日本はね、皆そうだった。そういう時代だったんです。」深夜、タクシー運転手の言葉は、背後に流れていく首都高速の街路の光に吸い込まれていった。
不況のど真ん中で、仕事があるだけいいと思うこともある。そうじゃないだろ、と思うこともある。自分のやりたい事はしている。けれど、何を残せるのだろう、とも思う。多分、なにも残らない。ひたすら働いて、ふと気がついて、僕も誰かにそんなことを言うのだろうか。
伝統とか、文化とか、そういうものは、どうでもよくて、くだらなくて、悪いものだと思っていた。でも、そうじゃない。かといって、伝統と封建の世界がいいということでもない。ただ、そこにはなにかが受け継がれている感じがする。この時代にあって、それは多分、幻想なのだけれど。
「あなたが大人になる頃には、もう 21世紀なのね、、。」小さい頃、そんなことをよく言われた。そして、世紀は変わり、未来は今日になった。
それは例えば、映画ブレードランナーが示した未来。真っ白い清潔な建物、透明のチューブに車輪のない自動車が通る、そんな未来の絵ばかりをみてきた人間にとって、ブレードランナーの未来は、驚きだった。古いもののうえに、猥雑に積み重なる新しいものという未来。息苦しく、混沌として、偽りと怒りに満ちたビジュアル。事実は、いくらかそっちに近い。
ア然とするぐらい、昨日の続きとして、21世紀はやってきた。
「21世紀なんだよね」空を見上げて、そんなことを言ってみても、いまさら気の利かない冗談にもなりはしない。
京都比叡山、21世紀。
手水舎に置かれた水盤には、どう見ても数百年の年季が入っていて、それは冷たく新鮮な湧水に満たされている。太陽が、昔と変わらず、じりじりと石肌を温めている。
そこにプラスティックの柄杓。
それが、21世紀の今日。受け継がれた、未来。
Photo: 2002. Kyoto, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EB-2, F.S.2
注: てみず‐や【手水舎】神社で、参拝者が手を洗い、口をすすぐための水盤を置く建物。おみずや。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
某月某日
[click to full size photograph] そして、IBM ThinkPad X30 10th Anniversary Limited Edition がやってきた。
そりゃ、275,000円は高い、高すぎる。それは、よく分かっている。こういうアホなものを買うのは日本人だけだということもよく分かっている。
でも、まあ、せっかくですから。
この長い名前の TP(ThinkPad) について簡単に説明すると、これは IBM が世に初めて TP を送り出してから 10年目を記念しての 2002台限定モデル。ベースになっているのは、日本未発売のミドルレンジ B5 サブノート X30 で、これに(色々な意味で有名な)ミラージュブラックの特別塗装が施される。さらに、この国内限定版 X30 の最終組み立ては、日本で行われる。
実は、使ってみた感想というのは、あんまりない。いつもの TP。OS をセットアップして、いつも使っているソフトウェアをインストールし、昨日までのデータと設定を移行すれば、何の違和感もなく使い始めることができる。
いつものことだが、キーボードは素晴らしい。妙な言い方だが打てば打つほど楽しくなってくる感じがする。キーストロークが深く、剛性感も高い。このあたりは、TP の独壇場であって、いつもの TP という期待を裏切らない。
S30 や X20 系では、いまいちスムーズさに欠けていたデザインが見直され、綺麗なスクウェアデザインになっている。ラップトップという言い方は、使われなくなって久しいが、この TP は発熱が少なく、文字通り膝の上でつかってもあまり熱くない。電力消費と放熱のマネジメントがしっかりしているという印象を受ける。
磨くことに疲れた。人生の意味を考えた。故郷の親を思い出した。など、さまざまな意見を聞く、特別塗装ミラージュブラックだが、これは確かに手入れが大変。ピアノと同じ鏡面仕上げの表面を綺麗に維持するというのは、まあ、無理。それに、ノートPC を開いて使っていると、実は塗装面はまるで目に入らない。しかし、その手触りはすごい。モニタの角度を変える、掴む、持ち運ぶ、そういう状況での手触りの良さ。道具としての質感の高さで、全体的な印象はかなり高い。
もちろんその他にも、いろいろと細かい改良が加えられている。少し前の TP は、開けるときに両手を使う必要があった。TP は、開ける際に 2箇所のロックを外す必要がある。以前は、この 2つのロックを同時に引きながら開ける必要があったのだ。これでは、片手がふさがっている、あるいは不自由な場合に開けることができない。X30(もっと前のモデルからそうなっているのかもしれないが)では、ロックを片方ずつ外して、片手で開けることができる。
膝に乗せた時の剛性感、手に持ったときのウエイトバランス、各種コネクタ類の組み付け精度の高さ。店頭でちょっと触ったぐらいでは、このような感覚的なものまでチェックすることは、なかなか難しい。ノートPC は道具であり、体験である。重要なのは、このようなカタログには現れないモノとしての誠実さだ。見えにくいところできちんとコストがかかっている。そういうものを選ぶことができる自分でありたいと思う。
それに、まあ、せっかくですから。
Photo: 2002. Tokyo, Japan, Canon Power Shot G1 2.0-2.5/7-21(34-102), JPEG.
注1:US の shop ibm 価格で X30 の英語版同型モデルが $2,569(通常塗装)で 31万円ぐらいなので、実は高いというわけではないのだが、、。
注2:ミラージュブラックの TP は、写真にあるようなおめでたい紅白パッケージに入ってやってくる。写真からシリアル番号は消してあります。