某月某日
就職活動の季節だ。
街に、それっぽい人たちがあふれている。自分のキャリアを決める重要な時期だけに、学生の皆さんはしっかりと企業を選び、最後まで頑張って欲しい。ちなみに、羊ページ管理者は学生だった頃、就職説明会参加申し込みの葉書を書くのが面倒で、ホームページからの申し込みができる企業しか受けなかったが。
ところで、外資系の会社に勤めていると、ありがちな勘違いをしている学生にでくわすことがある。曰く、
「海外で働きたいから、外資系の会社を志望しています」はっきり言って、それは違います。ちょっと考えれば分かるが、海外の企業が、日本で事業を行うためにつくったのが、いわゆる外資系。だから、外資系の主なビジネスの場は、海外ではなくて、むしろ日本なのである。
外資の大半は、日本の顧客に対して商品なり、サービスなりを提供して飯を食っている。したがって、とにかく海外で働きたい、というならむしろ日本企業に就職するべきだろう。製造業の海外工場とか、商社の海外代理店とか、門は狭いかもしれないが、ちゃんと海外で働くことができる、、かもしれない。
もっとも、単に海外で働きたいなんていう志望動機自体、どうなんだ、という話はあるが。
注1:日系か外資か、就職の際の最大の選択基準は、どっちの文化が自分に合いそうか、っていうことだと思います。あるいは、どっちの文化に染まりたいか、ということでもあります。これは、純粋に好みの問題。
注2:別に外資系は海外勤務できない、というわけでもないです。ケースバイケースでしょう。
某月某日
[click to full size photograph] 今日は、音楽を聴く日だった。
ヨーヨー・マのバッハ 無伴奏チェロ組曲 → 小野リサのベストアルバム → グレン・グールドのバッハ バラード&ラプソディー
こんな順番でかけてみる。
ヨーヨー・マは、なんとなく頭よさそーな音色を奏で、小野リサの歌声は、一足先に初夏が来たような風を吹かせた。グールドは、たっぷり物悲しい旋律を、鼻歌混じりに弾いていた。このところ、小説とか音楽とか、それも少しアナログな感じのものを摂取したい気分なのだ。
そういえば、通勤の途中でヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」を読んでいる。大学生の頃に買ったきり、ほったらかしにしてあった文庫本は、埃まみれで日に焼けていた。もうすぐ、上巻を読み終わる。
湿度のせいで、B&W の音は、少し曇りがち。それでも、エアコンにはまだ季節が早い。
聴きながら途中で何度か眠り込んで、気が付くと、夕暮れから夜になっていた。
そんな、音楽を聴く日。
Photo: Dec., 2000. Sagacho, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, Agfa, Dimage Scan Elite(Digital ICE)
注1:Bach Unaccompanied cello suites Nos.1, 3 & 5, Yo-yo Ma, 1982.
注2:- the collection -, Lisa Ono, 2000.
注3:Brahms Ballades, Op.10/Rhapsodies, Op.79, Glenn Gould, 1982.
注4:グールドの録音には、実際、彼の鼻歌(?)が入ってる。
某月某日
いったい、誰が買うの?
コンビニのゆで卵。その疑問に終止符を打つべく、思い切って買ってみた。午前 3時のコンビニで、ゆで卵を買う生活。ちなみに、ゆで卵は 1個 60円。パックに入った卵の単価を考えると、高いような気もする。
翌朝。
パッケージを開けると、ゆで卵が 1つと、折りたたまれた紙が入っている。塩は入っていない。
紙を開くと、マニュアルになっていた。これによれば、中の卵自身に塩味がついているらしい。それに、殻の剥き方の解説もある。頭の方を薄皮ごと 1平方センチ剥き、尻の方に小さく穴を開け、頭のほうから息を吹き込む。そうしてみると、確かに、なんとなく、うまく剥けるような気がする。
食べてみる。
「ウマイ、、」黄身は濃厚で、ドロッとした茹で具合が絶妙。信じられないことだが、卵全体に塩味がしっかりついており、普通に塩を振ったときのように、一部分は塩辛く、一部分は味が無いなんてことはない。こ、これはもしかして、すごくウマイかも。思わず買ってしまうかも。
人目をはばかるように、ひっそり売られている、あのゆで卵。
ゆで卵って、ウマイんだね。
注1:付属のマニュアルは、殻を剥くときの、ゴミ受けにもなる。秀逸だ。
注2:その後の調べで、JR のキヨスクで売られている、「パールカル」というブランドのゆで卵が、別格にウマイらしいことが判明。しかし、最寄り駅ではいつも売り切れており、未食である。マニアが買っているに違いない。
注3:単に茹でたのではダメで、あの味はそう簡単につくれるものでは、ないらしい。
某月某日
最近増えてきたなぁ、と思いつつも、時に不愉快に感じるのが、日記系・テキスト系のサイトに対する批評・批判。そして、それに起因するネット上での論争・トラブルだ。
この手の話でよく言われるのが「ネットに公開している以上は、批判・批評の対象になることは甘受すべきだ」ということである。確かに、その通りなのだが、それは、公開処刑のようにみんなの目の前で吊るし上げて良い、ということでは無い。自分の目の前にあるのは、ドットを映すディスプレイ装置にすぎないとしても、その向こう側には生身の人間がいる。論争とトラブルを引き起こすネット上での批判・批評には、生身の人間に対する基本的な配慮というものが、欠落していることが多い。
そもそも、文章を使ったコミュニケーションというのは、難しい。ビジネスの世界ではメールが大活躍だが、表現にはとても気をつけて書く。一般的には、メールを使って誰かを非難したり、論争をしたりすることは避けるようにする。それでも話しがおかしくなりそうだったら、電話するなり直接会うなりして、修正をかける。なにも、論争やトラブルが目的ではないからだ。ところが、ネットの世界では誤解が生じたからといって、会って話すこともないし、電話もかけられない。あげく、論争・トラブル自体を目的にして面白がる人もいる。
僕は個人的には、インターネット上で安易に特定の個人サイトを批判・批評するのは良くないと思っている。そもそも、批判・批評といったようなものは、強者に対して成してこそ意味がある。自分の楽しみに、ちょっと文章を書いているような人のサイトに、いちいち文句をつけたり、洒落っ気もない皮肉を言ってみたりしたところで、なんの意味があるだろう。面白い批評・批判を書くことができる人は確かに居るけれど、この種の文章というのは非常に難しく、万人に書けるものではない。
一方で、せっかくサイトを作ったのに、いろいろ言われて嫌な思いをしている管理者の人たちには、どうかそういう声は気にしないで更新を続けて欲しい。いくら文句を言われても、結局最後は更新を続けた者の勝ちである。羊ページも、過去にはいろんな評価サイトで、ボロボロに言われたけれど、そういういちゃもんサイトは、だいたい長続きしない。みなさんの更新を楽しみにしている読者の人が、かならずいるはずである。そういう人たちを大切にして欲しい。
ネット上の他人への配慮を欠いた行為、コンピュータ社会独特のトラブル、争い。そういうことが、インターネット利用者の増加とともに、間違いなく増えている。それを他人は他人、自分は自分ということで、勝手にやらせておくことが、本当に良い事なのか?と最近疑問に思う。
実社会の中でも、隣の誰かの行為を注意できなくなって久しい。電車の中で何かを注意しただけで、刺されるかもしれない。だから黙ってしまう。ネットの社会でも、そんな風にして皆が口を閉じてしまったら、これから先、どうなってしまうのだろう。
注1:ひ‐ひょう【批評】‥ヒヤウ 物事の善悪・美醜・是非などについて評価し論ずること。「作品を―する」「文芸―」[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
注2:ひ‐はん【批判】 1. 批評し判定すること。ひばん。 2. 人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などを評価すること。否定的内容のものをいう場合が多い。哲学では、特に認識能力の吟味を意味することがある。「強い―を浴びる」[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
某月某日
[click to full size photograph] 9月 11日のテロから半年、ケーブルテレビのニュースチャンネルは、追悼式の模様をこぞって中継していた。テレビの中で、光のモニュメントが空に向かって伸び、花束と、そして無数の星条旗が掲げられていた。亡くなった人たちへの哀悼と、アメリカは負けない、というメッセージが繰り返されていた。
僕は、その放送に強い違和感を覚えた。死者を悼む気持ちと、愛国心とがすりかえられている。個人的な感情が、故意に拡大され、誇張され、欺瞞に満ちたコンセンサスをつくっている。僕は、とてもいやなものを見た気分になった。
この時点で、アフガニスタンに対する空襲で亡くなった人の数は、アメリカの同時多発テロで亡くなった人の数を、とっくに超えていた。そして彼らは、まだ殺し続けている。人を殺すことが、何かの問題解決になると考えているならば、そのメンタリティーは、テロリストのそれと変わらない。第一、今はテロリストと呼ばれているアフガニスタンのゲリラ達に、武器を買い与えたのは、当のアメリカではなかったのか。
2002年、輝かしい 21世紀への入り口は、未だどんよりと閉ざされたままだ。世紀末に世界が滅ぶことはなかったけれど、新しい世紀は、目もくらむ未来の世界ではなかった。すべては、延長であり、繰り返しであり、もしかしたら衰退なのかもしれなかった。
テレビから目を移すと、東京の空に雲が流れている。世界は、あまり変わりばえしないように見えた。ここは、ゆっくりと死んでいく場所なのか、あるいは、希望があるのだろうか?
Photo: Mar., 2001. Yoyogi, Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak Ektachrome DYNA 400, Dimage Scan Elite(Digital ICE)
某月某日
羊ページ閉鎖のお知らせ を読んで、「ああ、そういえば今年もエイプリル・フールの季節だなぁ」と思った人から、お別れのメールをくれた人まで、今年の4月1日もいろいろだった。羊ページはここ数年、同じような企画を毎年やっているのにもかかわらず、やっぱりひっかかってくれる人がいるあたり、まだまだ世の中捨てたものではない。
よく、この手の企画をやると、「そうは言っても、もっと分別をもつべきだ」なんていう声が、特に日本では出がちで、それだけに思い切ったエイプリル・フールはやりにくいのではあるけれど、そんなことに負けてはイカンと思う。年に一度のこと、いろいろやっていいんじゃないだろうか。今年に関しては、ちょっと最近更新が滞っていたので、雰囲気的にちょうど良いかと思い、閉鎖にしてみた。
真剣に閉鎖だと思ってしまった皆さん、ごめんなさい。でも、来年もやります。(なにかを)
注1:閉鎖のお知らせのページ、ちょっと下にスクロールさせると「なんちゃって」とか書いてあるのですが、果たして何割の人が気づいたでしょうか、、。常套手段なんですけど、最初から疑ってかからないかぎり、意外と気がつかないものです。
某月某日
こないだ大阪いったんですよ。大阪。
ええ、キライですね、あそこは。なんていうか、メシがお好み焼きだしね。
でも、仕事だから仕方なかったんです。
でね、お客さんのところで、ちょっと時間があまったので、社食に連れて行ってもらったんです。
できたばっかりの建物なんで、社食といっても、えらくキレイでモダン(大阪風表現)な感じでした。会計も、プリペイド・カードだし。僕はそんなカードもってないので、一緒に行った人におごって貰いました。僕はコーヒー嫌いですから、コーラ・フロート。その人は、アイス・コーヒーと、ミックス・サンド。
そしたら、お金が足りなかったんですよ。プリペイド・カードには、何百円かしか残ってなくて、180円ばかり足りなかった。カード支払いの機械がエラーになっちゃった。そしたら、社食のオバチャンなんて言ったと思います?
「ありゃ〜、足らへんな〜、ええわぁ〜負けとくわぁ〜!」
社食って、まかるんですか、、。
注1:作者は粉モノ(お好み焼き、タコ焼きそのほか)が嫌いなだけであり、大阪および、そこの住人に対して何ら誹謗中傷する意図はありません。