今日の一言。
2001年 3月の一言 

某月某日
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パラパラってあるじゃないですか。

でもですね、3人でやってるからパラパラであって、30人でやってるからパラパラであって、300人でやってるからパラパラであって、3万人でやってたらマスゲームです。

振り付け間違えたら死刑。



某月某日
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株価、低いですね。皆さん、含み損なんか抱えてませんか?困りますよね、ほんとに。

関係ない話ですが、皆さん、マイラインは KDDI でしょ。

お願いです。マイラインは KDDI でしょ。



注1:本稿は KDDI の宣伝を単にご紹介しているだけであり、KDDI のサービスに関し、何ら推奨しているものではありません。



某月某日
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もの書きに関する雑感 その3

昔から、「ぬるい文章」はキライだった。誰かを傷つけるくらいの、とがった文章じゃないと意味がないと思ったりしていた。でも最近は、そんな風には思わない。自分が考えていることを、明確に文章にすることさえ、そんなに大切なことではないように思えてきた。誤解したい人はすればいい、つまならいと思う人は、見下せばいい。受け取れる人だけ、受け取ればいい。


「城の崎にて」などで有名な、作家 志賀直哉は、書き直せば書き直すほどに、文章が短くなっていったという。あまりにも文を削るので、今では研究者でさえ意味が分からなくなってしまった表現が幾つもあるそうだ。それだけ削って、なお彼の文章は優しい。

いっそ何も伝えないような文章。全て、読む人にまかせてしまうような文章、そんなものでもいいんじゃないかと思う。



某月某日
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姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ。(本居宣長 1730〜1801)

コンセプトとか発想を真似るのは簡単だが、姿形を真似るのは難しい。まあ、そんな意味のことだと思う。一瞬、「それって逆じゃないか?」と違和感を覚えるが、よくよく考えると、こっちが正解。

物事の姿形の大切さと、そこに込められた愛おしさ、そんなことを最近よく思う。それがデザインなのであれば、製品の見た目や使い心地。それが文章であれば、バランス感や空気感。

あるいは人であれば、それは佇まい。その笑顔も、その俯いた表情も、あなたにしかできない。例えば、そういうことだ。



注1:もともとは、フォントメーカーとして有名なモリサワの雑誌広告で引用されていた一言。最近、デザイン系の雑誌に興味があるのです。
注2:本居宣長 江戸中期の国学者。国学四大人の一。三十余年を費やして大著「古事記伝」を完成。儒仏を排して古道に帰るべきを説き、また、「もののあはれ」の文学評論を展開した。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版より、抜粋]



某月某日
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うつむいて、地面を見ながら街を歩いていると、足元にバナナの皮が落ちていた。

あまりにも、あまりな展開に、僕は心底驚いた。足元にバナナの皮って、、。

人生にチャンスは少ない。しかしその時、僕はどうしてもバナナの皮というチャンスを生かそうと思えなかった。まだまだ、甘いのだろうか、、。



某月某日
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もの書きに関する雑感その2。

つまり、モノを書くと言うことは、愛である。だから、愛がなければ書けないのだ。[直子の代筆]とは訳が違うのである。まあ、日常生活の大半は[直子の代筆]でカタがつくという話もあるが。

ということで、僕のブックマークのなかから愛を感じるサイトを5つほど選んでみた。(いや、もっといろいろあるんですけど)いろんな愛のカタチがあるのだ。



注1:リンク先にはとくに了解は得ておりません。



某月某日
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朝、いつものように森の中を通って(悪かったな、近所に森があるんだよ)バス停に向かって歩いていると、遙か遠くでドーンという音がした。それは丁度、木が倒れるような音だった。

もし、誰も居ない森の中で木が倒れたとしたら、果たしてその木は本当に倒れたといえるのか?そんな哲学だか、科学だかの命題があったような気がしたけれど、その日、確かに木は倒れたのであって、しかも通りがかりのヤンキー車に突き刺さっていた。それが事実だ。



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さて、現場に行ってみると森を抜ける狭い道路は渋滞になりつつあった。道路沿いの割と太めの木が一本、見事に折れて道路に横たわっていた。そして、その先端は、まさに、通りがかりのヤンキー車のボンネット表面に深刻なダメージを与えているようだった。

ショッキング・ライト・ブルー・マイカ的カラーリングの、ヤンキーミニバンの脇で、オーナーのヤンキーが狂ったように叫んでいる。

「ちっぃきしょぉぉぅー、なんだよこりゃぁー、ふざけんなこぉらぁー」

しかし、相手は木。なにも答えない。堪えていない。しかし、ヤンキーとしてもいまいち引っ込みが付かないらしく、木に絡むのをやめようとしない。木の方も、倒れてしまった以上は、もはや引っ込みがつかない。あっ、そんなことを、、。

ガスッ!!

蹴ったところで、足が痛いだけなのに、、。



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あれだけの木が走行中に倒れてきて、ボンネットだけで済んだことに、ヤンキーはむしろ感謝すべきじゃないかな、、。それにしても木が倒れるとは、春の珍事かねぇー。などと考えつつ、さっさと通り過ぎた。



注1:本稿はヤンキー及び、その関係者を揶揄するものではありません。



某月某日
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もの書きに関する雑感 その1。

こんな風に、Webに何かを書き続けていると、「何のために書いているのか」とか考えるわけだ。

羊ページを書き始めて5年、僕もそんなことについて、いろいろ考えてきた。そして、「人に見てもらうために書いている」という単純な結論に達した。今のところ。

誰にも見てもらえなくてもかまわないんだ。そんな風に言う人もいるけれど、それはきっと、誰かに自分を見つけて欲しいと思っていることの、裏返しなんじゃないかと思う。

さて、「人に見てもらうために書いている」ということになると、まさに訪問してくれる人は、「お客様」。だから、Web ページというのは、「客商売」ではなかろうか。最近の僕は、そんな風に考えている。


「お客様」を意識して書く内容をどうこうしろと言うことではない。そうではなくて、もっと基本的なところ。読みやすい日本語とか、配慮された表現とか、そういう部分が案外大事ではないかと。

ちょっと旧い言葉で言うと、「もてなし」ってことだろうか。



某月某日
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「ねぎとろ巻き」のパックを開けると、醤油金魚が入っていた。

8個のねぎとろ巻き。醤油金魚を取り上げ、順番に醤油をかけていると、とつぜん金魚が破裂した。


「ブシュッ」

机の上の、マイクロソフト・ナチュラルキーボードが褐色に染まった。そんな残業の風景。



某月某日
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最近好きなもの。「たまごカレー」

カレーの中に、固ゆで卵の丸揚げが2つ入ってる。カレー自体は相当辛いのだが、ナイフで卵を切り崩し、混ぜながら食べるとマイルドな感じになる。卵は、芳ばしく揚がった白身がポイントだ。この料理、味も良いのだが、それ以上に褐色のカレースープの上に、ポコンと浮かぶ卵が面白くてつい頼んでしまう。

名前も良い。だって、「たまごカレー」



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その日、なんやかんやで結局会社に泊まることになった僕たちは、腹をすかせて目を覚ました。朝飯を求めて街に出る。結局、土曜の朝9時30分にやっている飯屋は、うどん屋とインド料理屋ぐらいだった。インド料理屋は 24時間営業。


「朝から、、」
「まじで、、」

僕は例によって「たまごカレー」を注文し、同僚は「マトンカレー」を頼んだ。あたりまえの事だけれど、インド人のウェイターに「たまごカレー」言うと、ちゃんと通じる。なんか面白い。「羊カレー」も通じるだろうか?



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スパイス山盛りの、本格「たまごカレー」は今日も美味しかった。同僚の「マトンカレー」もいつも通り辛かった。辛いモノ好きの同僚も、この店のスパイスには満足したようだった。

朝っぱらのカレーを終えて、我々は店を出た。数時間前、僕たちは夜食に 200g のステーキを、おろしニンニクとハラペーニョのソースで食べた。そして、今度はカレーを腹一杯。


「なんか、腹、熱くない、、?」

僕たちは腹をこわした。



某月某日
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蚊に刺された。

しかも足の小指。

季節を先取りした感じである。



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